今までやってきたこと。 | ~気まぐれDIARY~きっと絶対ママになる

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SLE(膠原病)になって13年。結婚して8年。
両卵管閉塞がわかり、2012年3月から新橋夢クリニックで体外受精にチャレンジ、採卵8回、移植2回をへて、一年かかってやっと卒業できました。
2013年9月、念願のわが子を出産しました。

12年前、SLEになって初めて入院したとき、ムンテラで主治医に言われたこと。


「妊娠するときには必ず病気が悪くなるので、それだけは肝に銘じておいてください。妊娠すること自体、とてもむずかしいです。」


当時の私は大学生。
今の夫とお付き合いを始めたばかりのころでした。
その頃は目標に向かってひたすらがんばっていた時期。
妊娠がどうのこうのと言われても、実際ピンとこず、「へーそうなんだ」くらいに思っていました。


でも・・・


結婚してからは常に子供のことを考えていました。
結婚当初は夫の会社の社宅に住んでいたため、周りは同世代の夫婦ばかり。
周りにはどんどん子供ができていき、社宅恒例のお茶会では私はもっぱら子守り役しずく
話の内容は子供のことばかりで、「つくらないの?」「なんで?」と聞かれるたびに、とてもつらい思いをしていました。


加えて病気の安定のために大好きな仕事をしぼっていたため、ストレスはMAXむっ
いつもやり場のない思いを夫にぶつけていた日々でした。


今できることをやるしかない。
お薬をへらすために、大学病院だけでなく、他県の有名なホリスティック病院に通ったり、食事療法をいろいろ試してみたり、鍼にいったり、ヨガをやったり。
病気にいいといわれることをいろいろやってきました。


そんなこんなでなんとか病気も落ち着き、お薬の量も減ってきたところで、私が選んだのは「仕事」
お薬が減量できたので、妊娠も許可が下りたのですが、20代後半をがまんしていた仕事にあてることにしたのです。

その当時は・・・


子供は30歳くらいになったら考えよう、それまで思う存分仕事をして、ちゃんと自立したいバフッ!


そう思っていました。

そんな中でも内心はいつでも子供がほしい↑と思っていたのも、事実。
でも避妊しなくても全くできる気配がない・・・。
当時仕事がとても大変だったので、きっとストレスにちがいない!
仕事をへらせばできるはずビックリ
そう思えどやっぱりできない・・・。


去年一年は尋常じゃなく毎日毎日子供のことばかり考えては、妊娠できない自分を認められず、検査を受ける勇気もなければ、持っているネガティブな感情をうまくやり過ごすキャパもない、そんな自分に自信なんて全くない、周りの言葉にいちいち敏感になって、生理のたびに泣いて落ち込んで、どうしようもない毎日だったように思います。


今では少しずつですが、やっと現実を受け止めて、前に進む一歩を踏み出すことができました。
今回の生理では本当に久しぶりに泣かずに楽しく過ごせた自分を、ちょっとすごいなーと感じるくらいです笑



病気になる前の自分が描いていた夢いっぱいの人生とは、だいぶちがっているけれど、つらかった20代の時間を絶対無駄にはしたくありませんクマ
いろんな思いを抱えての母になる準備は、きっとこの先の人生を豊かにしてくれるはず、と心に秘めて、あきらめずにがんばりたいと思いますりんご