いつもブログにお立ち寄りくださいまして、ありがとうございます。




今日は、誰に為でもない、私の心の整理のために書くブログ。




もしも不快なことがありましたら、読まずにそっとしていただければと思います。








先日、支援学校で担当した生徒さんが、お星さまになりました。





報せを受けて、あまりにショックで、自分でも信じられないくらい泣きました。





葬儀、告別式には奇跡的に参列できました。





最近の私のスケジュールでは、ほぼあり得ないことなんだけど、なぜかその日だけ、ただ一つも予定がない空白のような日で・・・





神様が、彼の見送りに行けるようにしてくれたのだと思います。






素晴らしいほどの、穏やかな晴天の日。





目玉が抜けちゃうんじゃないかと思うほど泣き、腫れあがった目で見上げた空。





彼らしいなぁと思いました。





「いいの、いいの!だいじょぶだぁ!」と手を振り振り言う姿が見えた気がしました。








彼は、めちゃくちゃ可愛い子でした。




どんな時も決して人のことを悪く言わず、自分の境遇を嘆くこともなく、いつも笑っていて、ただただ無欲に、無心に、真っ直ぐ生きていました。





彼のそばにいると、誰もが心地よくなって笑ってしまう、とっても不思議な子でした。





彼ほど、誰のこともジャッジしない人を、私は他に知らない。

 




この世に天使がいるのなら、きっと彼のような人のことを指すのでしょう。





「愛してるよ!」





誰にでも、本当に誰にでも笑顔で、軽々と「愛してる」と告げる彼。





彼に出会って、私は「愛してるよ」と告げることは、最も簡単で、最も大切なことだと知りました。





人として、彼から教えてもらったことが、いったいどれだけあるだろう?





私は指導員という立場で、子供たちからは「先生」と呼ばれていたけれど、いつだって大切なことを教えてくれるのは子供たちの方で、私にとっての先生は、むしろ彼らでした。





私は指導員の仕事を辞めてしまったけれど、支援学校の子供たちとの生活は本当に本当に楽しくて幸せでした。





彼からも、他の子供たちからも、たくさんの幸せをもらって、大好きだと思える仕事でした。





時代と共に指導員の在り方や子供たちに求めるものが変わってしまい、「教育」という名の関わり方に苦しさだけがつのって、私はこの仕事を捨ててしまったけれど、この仕事をしてきたことは、今でも私の誇りです。







どうしてこんなに人を幸せな気持ちにし、笑顔で包み込んでしまうような子が、どうしてこんなにも早く召されてしまったのか。





障害を持って生まれた、天使のような息子を亡くしたお父さん、お母さんのお気持ちを思うと、あまりに苦しくてやり切れなくて。





人は誰でもお役目を持って生まれてきて、彼はもう十分にそのお役目を果たし、空に帰っていったのだと思うよりほかに、心の整理をつけるすべがない・・・。





告別式の後、彼のお母さんが泣きながら私を抱き寄せてくれました。




「めぐちゃん先生、来てくれてありがとうねぇ。」





お母さんとは、在学中も、何度も一緒に泣きました。





あの頃、お母さんがたくさん気持ちを話してくれて、私も指導員としてではなく、一人の人間として彼のお母さんと心を交わしました。





追悼の動画に、中学部の卒業式の日、彼と一緒に笑う私の写真もあり、




「めぐちゃん先生と一緒に撮った写真も入れたんだよ。あの頃、一番楽しかったよね。」と。





過ぎ去りし日々は、確かに温かく、幸せに満ちたものでした。







笑顔でいること。





ジャッジしないこと。





人をまるごと愛し、包み込むこと。





愛してるよ!と伝えること。






久しぶりに彼の魂に触れ、お母さんの言葉に触れ、思い出したたくさんの気持ち。





今の私は、そういう大切なものを見失っていたかもしれません。




私はまた彼に、大切なことを教えてもらいました。





いつまでたっても、彼には追い付けそうにないなぁ。





彼のような、クリアな魂で生きていこうと思います。





あの笑顔を心に刻んで。








心から、ご冥福をお祈りします。







2020年10月22日      浅野めぐみ