いつもブログにお立ち寄りくださいまして、ありがとうございます。

 

 
 
 
ただ、坐する。
 
 
 
昨日は朝からこちらのお寺、青葉区柏木の江巖寺へ。
 
 
一昨日、資福禅寺で紫陽花を見ていたら、心が静けさを求めてることに気が付きました。
 
 
 
 
ちょっとの静けさではなく、心の奥深いところまで静まり返るような。
 
 
 
 
なので、寺ヨガとか、写経とか、座禅とか、そういうことをしてみたくなって探したんだよね。
 
 
 
 
そしたら見つけました。
 
 
 
 
江巖寺での坐禅会。
 
 
 
夕方に急に「行きたい!」と思い立って探したら、翌日の朝にやってるところがあるのを見つけるって、最高タイミングキラキラ
 
 
 
しかも新型コロナウイルスの影響で、こちらの坐禅会もお休みが続いていたけど、久しぶりの再開だったそうで、ますますタイミング良い✨
 
 
 
初めての坐禅、始まる前にご住職が、やり方を教えてくれます。
 
 
 
なるほど、坐禅って「あぐらをかく」のと違うんだ!!(←そこからのスタート。笑)
 
 
 
ご住職から、「坐禅とは、何かを会得したり、無になりたいと願ったり、自己と向き合うためにするのもではないのですよ」とあらかじめ話されました。
 
 
 
ただそこに、「坐」するのみです、と。
 
 
 
いろんな感情が湧いてきても、「ああ、そうなんだな」と在るがままを受け入れる。
 
 
 
そうすることで結果的に自己と向き合うということになるかもしれないけれど、それ自体が目的ではなく、目的は何もないのですよと、そんなお話をされたように記憶しています。
 
 
 
 
 
 
坐禅はまぁ、大変でした。笑
 
 
 
慣れてないのでね、足、ビリビリに痺れた笑い泣き
 
 
 
 
最初は静けさの中で、鳥の声や、お堂の柱がきしむ音、遠くで聞こえるバイクの音などに耳を傾けていたけれど・・・
 
 
 
 
途中から意識は全部左足へ滝汗
 
 
 
 
30分も組んでいられなくて、こっそり足崩した~💦
 
 
 
体に不具合があると、意識はこんなにも「自分」にばかり向いちゃうのね。
 
 
 
 
自分の体の不調、不具合って、意識全部持って行かれるんだなぁってこと、体験しました。
 
 
 
坐禅の時間が終わってから、ご住職が少し説法してくださったんですが。
 
 
 
 
「時々、今日はいい!と思えるような坐禅が組める時があります。
 
 
 
そうすると次の日は、昨日よりももっと良い坐禅が組みたいと思ってしまうものです。
 
 
 
でも必ずしも、昨日より良い坐禅が組めるわけではありません。
 
 
 
前日の、上手くできた自分と比べて、今日はダメだなんて思う必要はないのです。
 
 
 
今の、そのままの自分を、ただ受け入れればよいのです。」
 
 
 
そんな内容でした。(足の痺れに意識半分持っていかれていたので、こんな話だったなぁ程度の記憶ですが💦)
 
 
 
 
自己肯定感を育むには、他人と自分を比べないことと、よく言われますね。
 
 
 
そして、比べるなら過去の自分と比べよう。すると成長していることがわかるはず、なんてことも言われますね。
 
 
 
だけど、過去の自分とすら、比べる必要なんてない。
 
 
 
 
過去の自分より上手にできないときがあってもいい。
 
 
 
「今ここにある自分」が全て。
 
 
 
 
 
ああ、このお話を聴くために、私は導かれたんだなぁって思いました。
 
 
 
なんだかすごくホッとしました✨
 
 
樹齢150年の、百日紅の木。
 
 
 
私なんて、まだまだですね。笑
 
 
 
 
また来月の坐禅会も参加しようと思います♪
 
 

 
今日も最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました♪