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NPO法人日本メディカルアロマテラピー協会
認定スペシャリストの浅野めぐみです
いろんなタイミングって、あるものですね。
数日前に、アドバイザー受講中のBODY & MINDのゆきさん と、私が支援学校の寄宿舎指導員をしていた頃のことについて話し、今日はFBの過去記事で、指導員時代のことを振り返るきっかけをもらって・・・
なぜ自分が寄宿舎指導員という仕事を手放したのか、なぜ今、メディカルアロマのスペシャリストとして、メディカルアロマのカウンセラーとしてここにいるのか・・・ちょっと書いてみたくなりました。
そして、違う職種に見えても、私の中ではちゃんと1本の糸で結ばれていたことに気が付きました。
大好きでした。
寄宿舎指導員という仕事が。
寄宿舎指導員は支援学校に併設された寄宿舎で、ローテーション勤務で、障がい児の生活支援・教育支援をしていくという特殊な仕事でした。
寝泊まりしながら、子どもたちの生活支援にあたるため、当然、身体介助もありました。
介護施設ではなく教育現場場なので、教育的な観点での指導や、保護者さんとの教育相談、カウンセリング的なことも多々もありました。
寄宿舎は学校とは違う、家庭とも違う、とても特殊な場所。
子どもたちは学校でも家庭でも見せない姿を、私達に見せてくれていました。
私達は常に子どもたちの先生であり、お母さんであり、お父さんでした。
子どもたちと過ごす時間はとてもかけがえなくて、我が子と寄宿舎の子どもたちと境目が曖昧になるくらい、私は寄宿舎の子どもたちを愛していました。
一緒に泣いて、一緒に笑って、成長に一喜一憂して、命懸けでした。
そんな大事な大事な場所、天職とも思った仕事を、どうして手放したのか。
それは、「学校」という場所では、本当にやりたいことができなかったから。
私が本当にやりたかったことは、子どもたちの心、保護者さんの心に寄り添うこと。
保護者さんの苦しさ、想いをとことん受け止めること。
目の前にいる子どものために、保護者さんと共に歩むこと。
でも、学校という組織の中では、時としてそれができませんでした。
いろんな考えの先生方がいて、いろんな役職の先生がいて、教育委員会があって・・・
会議で認められなければ進めないもどかしさ。
子どもたちにとって一番大事なこと、今すぐに必要なことがしてあげられなかった。
保護者さんが望むこと、願うことに応えてあげることができなかった。
無力でした。
子どもたち、保護者さん、私自身の想いと・・・・学校という組織との間で、板挟み。
保護者さんは私の前で想いを吐露し、あんなに泣くのに・・・
子どもたちは全身全霊でぶつかって来てくれるのに・・・
職員室では何もまかり通らない。
正しいと思うことができない。
「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!」って、青島君みたいに叫びたかった。
年齢を重ねるごとに、その板挟みが苦しくなってきました。
流れを変えようと踏ん張ってきたけれど、戦うことに疲れて、限界を迎えて、心が壊れてしまいました。
今見ても、良い顔してるな・・・って思う。
寄宿舎の子どもたちとすごしているときの私。
大好きだった仕事、誇りに思っていた仕事を手放して、今ここにいるわけは。
思いっきり、好きなだけ、誰に制約されることも咎められることも、組織という枠組みの中で押さえつけられることもなく、目の前にいる人のために生きたいから。
もしかしたら、その手段はメディカルアロマでなくても良かったのかもしれないけれど、たまたま出会ってしまったんです、夢中になれるメディカルアロマに。
それも「利他的であれ。常に目の前にいる人にとっての利を考えよ」という、NPO法人日本メディカルアロマテラピー協会だったからこそ、このポジションまで来てしまいました。
「これからの人生は、15年間、障がい児とその保護者さんに寄り添ってきた経験、重ねてきた教育相談やカウンセリングの経験、私自身の心の病気の経験をベースに、メディカルアロマの知識も上乗せして、私が持てるすべてを注ぎ込んでいこう」
そんなことを思った、3月1日。
今日は支援学校の高等部の生徒たちも卒業式だね。
まっすぐに生きよ。
自信持って、胸張って、自分を愛して。
長い記事に、最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました