ここ数ヶ月、和辻哲郎の本に耽溺しております。
と言っても、主著というより、人となりのわかる本
ばかり読んでいますが、
その中の一冊、「自叙伝の試み」(和辻哲郎著)で、
片付けについての一文を見つけました。
「わたくしの生れた家」という章に、
彼が子どもの頃、居間や寝室として
使っていた六畳間の描写があります。
「この六畳の部屋には、西側の壁添いに箪笥が
一つだか二つだか置いてあって、
そのあたりがいつも何かしら散らかっていた。
また北側の茶の間よりの隅に、
小さいがしかし背の高い置戸棚が置いてあって、
そのあたりにも帳簿とか本とかが堆積していた。
(中略)
やや長じて後、この部屋をもう少し片付けたら
よかろうにと思ったことはあるが、
しかしその時でもこの部屋の狭さを強く感じた
ことはない。多分、赤ん坊の時以来慣れていた
せいであろう」
(「自叙伝の試み」和辻哲郎著、中央公論社刊)
これは、彼が3、4~10歳ぐらいまで
過ごした部屋についての描写です。
自叙伝を書いたのは、彼の晩年なので、
実家の一室が片付いていなかったことを、
彼は、ずーっと覚えていた(!)
ということになります。
念のため、彼の母親は医家の仕事も手伝い、
家事も現代では想像できないほどのことを
こなしていました。
竃で料理しながら、家族が着る物を紡いだり
織ったりもしているので、私から見ると、
スーパーウーマンです。
しかし、小さな男の子は、
自分の小宇宙とも言えるような部屋を見て、
「散らかっている」
と感じていたのです。
・・・うちの場合、息子の視線で見たら、
どんな風に見えるのか?
息子の生活を見ていると、将来、
このような本を書くとは思えませんが、
「僕が毎日を過ごした部屋は
いつもきれいで気持ちがよかった」
ーーなんて思い出してもらえるのか?
「お母さんの机の上はいつも
ごちゃごちゃで、
何があるのかわからなかった」
ーーそれが思い出だったらどうしよう!?
読書の秋とはいえ、
それは片付けと掃除の後!
これから拭き掃除です!!
(あ、もう夕食の時間なので、
食事が済んでから、プチ掃除!)
今日もお読みくださり、
ありがとうございます。
と言っても、主著というより、人となりのわかる本
ばかり読んでいますが、
その中の一冊、「自叙伝の試み」(和辻哲郎著)で、
片付けについての一文を見つけました。
「わたくしの生れた家」という章に、
彼が子どもの頃、居間や寝室として
使っていた六畳間の描写があります。
「この六畳の部屋には、西側の壁添いに箪笥が
一つだか二つだか置いてあって、
そのあたりがいつも何かしら散らかっていた。
また北側の茶の間よりの隅に、
小さいがしかし背の高い置戸棚が置いてあって、
そのあたりにも帳簿とか本とかが堆積していた。
(中略)
やや長じて後、この部屋をもう少し片付けたら
よかろうにと思ったことはあるが、
しかしその時でもこの部屋の狭さを強く感じた
ことはない。多分、赤ん坊の時以来慣れていた
せいであろう」
(「自叙伝の試み」和辻哲郎著、中央公論社刊)
これは、彼が3、4~10歳ぐらいまで
過ごした部屋についての描写です。
自叙伝を書いたのは、彼の晩年なので、
実家の一室が片付いていなかったことを、
彼は、ずーっと覚えていた(!)
ということになります。
念のため、彼の母親は医家の仕事も手伝い、
家事も現代では想像できないほどのことを
こなしていました。
竃で料理しながら、家族が着る物を紡いだり
織ったりもしているので、私から見ると、
スーパーウーマンです。
しかし、小さな男の子は、
自分の小宇宙とも言えるような部屋を見て、
「散らかっている」
と感じていたのです。
・・・うちの場合、息子の視線で見たら、
どんな風に見えるのか?
息子の生活を見ていると、将来、
このような本を書くとは思えませんが、
「僕が毎日を過ごした部屋は
いつもきれいで気持ちがよかった」
ーーなんて思い出してもらえるのか?
「お母さんの机の上はいつも
ごちゃごちゃで、
何があるのかわからなかった」
ーーそれが思い出だったらどうしよう!?
読書の秋とはいえ、
それは片付けと掃除の後!
これから拭き掃除です!!
(あ、もう夕食の時間なので、
食事が済んでから、プチ掃除!)
今日もお読みくださり、
ありがとうございます。