その1ではアホアホパーティ(別名:あ、ホーリーナイト 笑)について書きました。その続きはスピリチュアルマリッジとか書こうとしたんだけど、そもそもそれは、私の体験ではないので、本人以上にうまく説明することは不可能でしょう。だからそれはみかりんのブログを読んでもらうことにします。
で、箱根リトリートの続き、を書こうとしているのだが、なかなかまとまった内容が浮かんでこない。
まあそれでも、もともとそんなに賢いわけでもなし。まとまらないなりに、書いてみようと思う。
まとまらないのはなぜかっていうと、自分で知覚している以上に、受け取ったものが様々な階層に及んでいるような気がしているからだ。
まだそれは抽象的なものになっていて、言葉という形では、降りてきていない。
今、言葉に表せる一つの局面だけを表現しても、消化不良の表現みたいになってしまうので、ふんわり全体的に書いてみようかな。
とても印象深いのは、この箱根リトリートを境にして自分に起こっている変化が、今までとは全く違う、異なる次元への入り口に立っている気がしていること。
それは、みかりんが語ったレムリアン・ワンネスのこととか。
今年の私のテーマである、無心でいること、ただ起こってくることに対して味わうこと、楽しむこと、今ここにある出来事とのダンスを踊ることで、発せられるパワフルさを知るということとか。
自分の魂に正直でいるということとか。それが例え誰かの反感を買おうとも、今は誰かが理解できなくても、自分の表現にウソをつくことはもう止めたいと心底思った。それは、自分に対して敬意を払う行為であるのと同時に、他人に対しても敬意を払うことと同じだから。
今まで曖昧だった、手放すものと新しい道筋の輪郭がここにきてとてもはっきりしてきた。
箱根のあの場では、魂の仲間というワンネスの扉が見えたようだ。
それは今も続いている。あそこに居たメンバーとの、言葉を超えたかかわりが。
きっとあの箱根の部屋で起こったそれは、ただのはじまりに過ぎなくて、そこからウイルスが伝染していくように、散らばった15人から広がっていくのではないかと思っている。
はじまりというのは、まだ扉に立ったばかりの自分なんで、ワンネスのことも分かっていないことがまだある。ジェラシーという感情も、まだまだある自分です。でもそれはそれでいいと思っている。
この箱根を境に、私は覚悟が出来たような気がします。
自分を生きること。もう他人の感覚を採用して生きるのは止めること。
「これは世の中ではこういうことになっているから、こう感じることを選択する」
を無意識にやるのではなくて
「今、私は何を感じているんだろう?」「これをどう感じることを私は選択するのか?」
を常に意識的にやっていきたい。そしてそれを人生で表現していきたい。
世の中の大半が目をつむって歩いていることによって、日本も世界もこういう状況になっていることだし。
最後に、このリトリートを主催してくださったChiexさん、HIdeさん、Sadakoさん、みかりん、むーさんに感謝!!
本当にすばらしいリトリートでした。場所もステキだったし、料理もおいしかったし、クリスタルボウルでは音の素晴らしさも体感したし。お話も、祈祷(アホアホパーティ)も全て良かったです。
それとあそこに集まった魂の仲間たち、一人一人の顔が忘れられないよ。ほんとうに感謝だ~
そして、忘れちゃいけない、いつもサポートしてくれている、様々なスピリット達に感謝いたします。(キリッ)
と、なんかまとめのようになっているが、まあまたなんか言葉が降りてきたら、そのうち書くことでしょう。あは。


で、箱根リトリートの続き、を書こうとしているのだが、なかなかまとまった内容が浮かんでこない。
まあそれでも、もともとそんなに賢いわけでもなし。まとまらないなりに、書いてみようと思う。
まとまらないのはなぜかっていうと、自分で知覚している以上に、受け取ったものが様々な階層に及んでいるような気がしているからだ。
まだそれは抽象的なものになっていて、言葉という形では、降りてきていない。
今、言葉に表せる一つの局面だけを表現しても、消化不良の表現みたいになってしまうので、ふんわり全体的に書いてみようかな。
とても印象深いのは、この箱根リトリートを境にして自分に起こっている変化が、今までとは全く違う、異なる次元への入り口に立っている気がしていること。
それは、みかりんが語ったレムリアン・ワンネスのこととか。
今年の私のテーマである、無心でいること、ただ起こってくることに対して味わうこと、楽しむこと、今ここにある出来事とのダンスを踊ることで、発せられるパワフルさを知るということとか。
自分の魂に正直でいるということとか。それが例え誰かの反感を買おうとも、今は誰かが理解できなくても、自分の表現にウソをつくことはもう止めたいと心底思った。それは、自分に対して敬意を払う行為であるのと同時に、他人に対しても敬意を払うことと同じだから。
今まで曖昧だった、手放すものと新しい道筋の輪郭がここにきてとてもはっきりしてきた。
箱根のあの場では、魂の仲間というワンネスの扉が見えたようだ。
それは今も続いている。あそこに居たメンバーとの、言葉を超えたかかわりが。
きっとあの箱根の部屋で起こったそれは、ただのはじまりに過ぎなくて、そこからウイルスが伝染していくように、散らばった15人から広がっていくのではないかと思っている。
はじまりというのは、まだ扉に立ったばかりの自分なんで、ワンネスのことも分かっていないことがまだある。ジェラシーという感情も、まだまだある自分です。でもそれはそれでいいと思っている。
この箱根を境に、私は覚悟が出来たような気がします。
自分を生きること。もう他人の感覚を採用して生きるのは止めること。
「これは世の中ではこういうことになっているから、こう感じることを選択する」
を無意識にやるのではなくて
「今、私は何を感じているんだろう?」「これをどう感じることを私は選択するのか?」
を常に意識的にやっていきたい。そしてそれを人生で表現していきたい。
世の中の大半が目をつむって歩いていることによって、日本も世界もこういう状況になっていることだし。
最後に、このリトリートを主催してくださったChiexさん、HIdeさん、Sadakoさん、みかりん、むーさんに感謝!!

それとあそこに集まった魂の仲間たち、一人一人の顔が忘れられないよ。ほんとうに感謝だ~

そして、忘れちゃいけない、いつもサポートしてくれている、様々なスピリット達に感謝いたします。(キリッ)

と、なんかまとめのようになっているが、まあまたなんか言葉が降りてきたら、そのうち書くことでしょう。あは。


