先週、三日間のゲシュタルトプラクティスを終えました。


直後は頭がオフになっていたため、すぐに書けなかった


右脳は動くのだが左脳が動かないというか。


今でも一番、自分の中でしっくりきたのはクリスが言うところの”Wider Awareness”かな。


二人ペアで組んで、そのうちの一人がExplorer(探求者)、もう一人がSupporter(サポートする人)になるわけですが。


探求者はひたすら、「今、自分は何を感じているか」を体の感覚などでとらえて行き、

その感覚をリアルタイムに近い感じで口に出して行くのです。


「今、左肩が重くなりました」とか


「今、小指が痒くなったことに気づきました」とかひたすら言う。自分のために。


Supporterはただ、それを聞いているだけ。


でも、たまに「一緒に、聞いているよ。一緒に感じているよ」という意思表示として「エコー」(探求者と同じ言葉を繰り返す)というのをします。


要は、ただ単に一緒にいるだけ。感じてるだけ。


そこで特にアクティブな行動はしない。


それが、目からウロコだった!「あーこれかー」って感じ。マンガでよく気がついた時に電球がつくみたいな(笑)


普段、能動の海、つまり「Being」より「Doing」の世界に浸っていて、それが良いとされている世の中で生きている私たちにとって、関係というのは何かについて話す「会話」がとても大切だと思っているふしがある。


でもWider Awareness=「気づきの幅を、一点集中型から、もっと拡大して気づく」

そうすると、会話=思考で得られる情報より、もっと深くて広い部分の情報に気がつくことに、気がつきました。


チネイザンとかやっているときに、普通にやっていることだったんだけど、こういう形で気がつくのも面白い。


なんつーか、日本語って難しいなあ。っていうか、感じたものを言葉で表すのって、難しい・・・あ、途中で挫折・・・(笑)


左脳主体で話しをしている間には気がつかなかったことが(再挑戦♪)


ゆるっと体全体をゆるめて、でも意識を明確に保って体全体で相手の存在を、黙って感じてみる


そうすると、相手の存在そのものが、会話主体の時とは違う感覚で感じられてくるん

です。


思考ではなくて、有機体としての体全体で「今ここ」に触れてみる


相手を感じながら、


同じぐらい自分の内側も感じてみるのです。


ただ何も変えようとせずに、ただ共にいる。


これが出来るというのが、すごーく贅沢なことなのよ!とクリスが言っていた。


うむー私もそう思うわ。


だからといって話すのやめようとかいうことじゃなくて、そーいうのも、あるんよにー、って感じ。


これはまさに瞑想とか、特にダークルーム瞑想とか(一日以上完璧な暗闇で瞑想、自分や相手を感じる)


チネイザンなどのボディワークにもつながってくるにゃー


というのが、発見でした。


人間って、やっぱり頭じゃなくて、体やエネルギーの生き物だから


だからボディワークは瞑想が大事なんらなー


そうすると、Narrow Awareness(点での気付き)と同時にWider Awareness(広範囲の気づき)を持っていることで、自分の願望というものが、エゴ的なとんがったものからちょっと変わってくるんじゃないかなー


それがまた、受容という限りない豊かさだなー、ってことは女性性に代表される「受容」のエネルギーは


今の時代すごく大切なんですよね。


と、思いました。


明日はChiexさんとこで女性性のワークショップでヴィーナス瞑想の誘導をします♪  http://chiex.info/


楽しみです。