「明日に死ぬと思えば、大したことは無い」


今日は、こんな題材で始まった・・・

いつも愛読しているブログ・・・


ここ最近・・・このブログを書かれている方の本は、持ち歩くカバンの中に入っています。


何かに戸惑いを感じている時に、パッと開くと・・・

不思議なことに、私の心の問題点を解決してくれるページだったりします。


今日のブログの一節に・・・


『私は毎日、一日が一生(いっしょう)だと思いながら生活しています。
明るい気持ちで、今日しか人生は無い。明日は無い(死)かも知れない。と、常に思っています。一瞬一瞬を大切にしようと、心がけています。


そう思っていますと、細かい悩みや心配に捕まることはありません。
「まあ、いいか。」 「仕方がない。」 と自然に思えます。
仕事で嫌な人物に会っても、「元気だな~」と、ほほえましく思えます。本当に明日に死ぬと考えますと、
すべてが許せる気持ちに成るものです。
そしてなぜか、関わってくれたすべての人に感謝をしたい気持ちに成れるのです。


しかし、良く考えて見ますと、人間はいつかは必ず死ぬのですから、明日に死ぬと思うのは極端かも知れませんが、上記の様な気持ちで生きるのが本当なのです。


人間は死を忘れますと、執着(=悪いこだわり)が起きて来ます。そうしますと、争うことも平気で出来てしまうのです。』


最初のこの文面を読ませて頂きますと、スーっと気持ちが安らぎました。


続いて・・・


『では、夢や希望は、どう思えば良いのか?


自分の夢が叶えられないと思う人は、遠くの先に自分の夢の実現を見ているから、叶わ無いのです。

結局、今日は何も夢に向かって行動をしていません。


いつか、ではダメなんです。未来に置いたままの夢を見ているだけで、今の行動が無いのです。

明日が無いと思えば、今日だけでも夢のための0.1%の行動をすれば良いのです。


夢は、未来に見るのでは無く、今日中に夢に向かって何かの一歩を出すことです。

今日の中に、夢を見られると最高です。』


深イイです。


今日の私・・・

夢のための0.1%の行動は、したと思います。


今日の中に、夢を見られなかったのは残念だけど・・・

感謝の気持ちで一杯になりました。


“生かして頂いて ありがとうございます。”


生かされている事に感謝しつつ・・・

明日に供えます。