愛されるために、ここにいる | れいよん・雑記

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明日はあしたの風が吹く。

愛されることが幸せなのか、愛することが幸せなのか・・・

愛されたいがためにジッとここで待っていればいいのか・・・・

愛とはいったい・・・・・“何者?”

摩訶不思議な言葉、それは“愛”。

 

 

映画 「愛されるために、ここにいる」 を観るチャンスに恵まれた。

 


パンフレット 「愛されるために、ここにいる」

 

 

51歳を迎えるとは思えないぐらい“老人っぽい”風体の主人公ジャン。

 

もうすぐ結婚するとは思えないぐらい “ブルー”なヒロイン、フランソワーズ。

人生にくたびれた中年男性と、同年代の男性に飽き足らない妙齢の女性のタンゴ的な恋物語、か?

 

 

パンフレット 「愛されるために、ここにいる」 パンフレット 「愛されるために、ここにいる」

 

 

 

バスの待ち時間がありすぎるといって、発進しようとしているジャンの車を止め、送ってと乗り込む。

 

車にダンスシューズを忘れたと翌日に電話してくるフランソワーズ。すばらしいテクニックだね。

生徒指導職のフランソワーズにとっては、恋とは無縁そうなジャンを手中に収めることは容易いことだ、

と思うのは、あまりにも捻くれた発想だろうか?

 

 

パンフレット 「愛されるために、ここにいる」

 

 

 

自分を大切に扱ってくれず、うだつがあがらない婚約者に嫌気が差しはじめるフランソワーズ。

 

生活力があり自分だけを愛してくれる落ち着いた男ジャンに惹かれていく気持ちも解らなくはない。

年の差があればあるほど恋に陥りやすくなるのかもしれないしね。

恋愛に年の差なんか関係ないことだし、婚約者がいるとはいえ、二人とも自由の身なのだから。

ま、そういうことは取るに足りないことだ。大いに盛り上がって愛し合えばいいのだ。

 

 

パンフレット 「愛されるために、ここにいる」

 


しかし、恋愛関係がくずれかけた時が問題だ。

 

 

女に弄ばれたかもしれないと思ってもいい。落ち込んでもいい。

 

だけど、そのいらだった感情をむき出しにして年老いた父親に八つ当たりするのは許せない。

しかし、そう思いつつ・・・・・

父は、ジャンの本心を確認でき、この世に未練を残さずにオサラバできたのかもしれない、と思うし

ジャンは、自分の言動を多少悔いることはあるとしても、厳格で威圧的な父親から解放された訳だし

八つ当たりでもなんでもいいから、本音をぶつけ合うのも悪くないのかもしれないとも思ったりする。

 

 

介護ホーム(?)に入所している年老いた父の見舞いを欠かさないジャン。

 

しかし、見舞いに来るジャンの愛の無い態度に、父親は虚しさを感じていたんじゃなかろうか。

父の言動や態度にも問題はあると思う。ジャンがそういう父に愛情をもてないのも理解できるのだが。

虚しいだけの息子との関係。父は、ジャンの負担を取り除いてやりたいと思っていたに違いない。

 

 

年老いてから誰にも愛されずに永らえることは、哀しくて淋しくて虚しくて耐え難いのかもしれない。

 

年老いた父も 『愛されたいために、ここにいる』 と、訴えていたに違いないと思うのは考えすぎだろうか。

 

 

この映画は “50男と30?女”の“タンゴ的”なラブストーリーだとは思えない。

 

 

 

人は誰でも 『愛されたいために、ここにいる』のかもしれないな~