存在の耐えられない軽さ | れいよん・雑記

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明日はあしたの風が吹く。

パンフレットの後ろに、昭和63年12月1日・○○映画館にて、と記してあった。

数年前に観たと思っていたのに、なんと、19年あまりも前に観た映画だったなんて・・・・


パンフレット 「存在の耐えられない軽さ」  パンフレット 「存在の耐えられない軽さ」

パンフレット 「存在の耐えられない軽さ」  パンフレット 「存在の耐えられない軽さ」

この映画を観たときは、とても衝撃的で、映画の内容など何も把握できていなかった。

とにかく、ショックが強かったことだけは記憶している。あまりにも“ものを知らなさ過ぎる”私だった。

ま、いまも同じような私ではあるが!

 

 

このパンフレットのなかに、『軽さと重さ――総ては幻想のコンセプト』 と題した一文がある。

 

 

 

軽い人は重いセリフを多用したがるし、重い人は軽く見えるように自己演出する。重い内容を軽く解析するには才能が必要だし、軽い事象を重く分析するには知識が不可欠だ。 (中略) 

 

始めから、総ては幻想のコンセプトだ、と思えば楽だ。人間なんてそんなものなのだ、と分れば何も重たくなんかない。別れを想定して出会えば、かえって相手を大事にする。永遠に継続するのが当り前だと思えば、裏切られたと思い、軽いと断じたくなる。存在の耐えられない軽さ由に好きになる。そういうものではないだろうか。(中略) この映画は、現実によくある泥試合を回避して結論を提示しない。(中略) 

この映画はいつまでも分りきった答えの“問題”として存在しようとしているのである。   (パンフレットより)

 

この文章を19年ぶりに読み返してみて、歳を重ねた今、もう一度観てみたいと思っている。

上映している映画館はないだろうし、DVDでも借りて観るしかないんだろうな~