私のオシャレ好きはきっと母の影響だと思います。


幼少期、母は自身のオシャレはもちろんだったけど子供の私にも手を抜かない人でした。

お出かけ服は百貨店の特選服が多く、帽子も靴もオーダー品。

キャラクタープリントのついた服は一切着せませんでした。

唯一、サンリオの当時人気のあったキティちゃんとか、キキとララとか、マイメロディなどのバッグは持たせてもらえました。

「女の子はお出かけするときは必ずバッグを持たないとダメ。ハンカチとティッシュは入れておくこと」

と言われて、幼稚園~小学校低学年時期はバッグの中にはハンカチ、ティッシュ、小さなお財布、クシとか髪留めとか入れてました。(あとお気に入りのシールとか匂い袋とか紙石鹸とかも入れてたり。ティッシュはいい香りのするのが流行ってました)


私のその頃のお出かけファッションはワンピースとか上品なジャンパースカートが多かったと思います。

色はベーシックなもの。普段着はデニム地のスカートにシンプルなTシャツとかニットやブラウスだったと思います。とにかくピンクのフリフリ付きフリルとか、わかりやすい可愛らしい服は母は好みませんでした。

上品で顔立ちに似合うもの。

これをモットーにしていたと思います。


自分で服を選ぶようになったのは中学1年生になった頃。

クラスメイトの仲良しグループの中に抜群にセンスのいい子がいて、彼女と一番仲が良かった私は彼女のセンスに触発されました。彼女は決して高い服を買っていたわけではなく、いわゆるショッピングセンターにあるようなお店で買っていましたが、選ぶものがとにかくバランスが素敵だった。

彼女のクールで華奢でかっこいい外見と一致していました。

私もお小遣いを貯めては真似してみたり。でもこの頃はまだまだ大半は母が選んだ服を着ていました。


完全に自分で服を買うようになったのは高校1年生になった頃です。

世の中はDCブームとアメカジブームの2つに分かれていました。ちょうどバブルの時期になります。

私は16歳から17歳くらいまではDCブランドをかなり着てた時期になります(笑)

雑誌、アンアンを舐めるように読んでいた頃で、

パーソンズ、ペイトンプレイス、ページボーイ、ビバユー、アツキオオニシ、ニコル、I.S、45RPMなどなど。

ファッションビルをかなり徘徊してました。お年玉や短期のバイト(クラブをしていたので冬休みとかでないとバイトできなかった)の給料、お小遣いをせっせと貯めてはDCブランドの服を購入。


そこから18歳くらいから、20歳くらいまではアメカジにシフトチェンジ。ちょうど渋カジとかキレカジが流行っていた時期かな。

シップスがその頃アメカジファッションを得意としていたので、そこで買い漁るように。

ダウンジャケット、チェックのネルシャツ、ダンガリーシャツ、リーバイスのデニム、ピカデリーのデニム、

ラルフローレンのポロシャツ、紺ブレ、トレッキングシューズ、ナイキスニーカーなどなど。

うう・・・懐かしい~~

雑誌はMCシスターを愛読してました。


この頃から漠然と仕事するならアパレル業界で働きたい、店員になりたい、いずれは店長やりたいと思うようになりました。

だけど、両親の猛反対にあい、最初の就職先は不動産建設業の会社へ。

バブルがはじけて間もない時期になります。

私はOLファッションの華やかなスタイルのスーツに身を纏うようになりました。

J&R、ピンキー&ダイアン、セルッチオ、ロペ、ヒズミス、フェールラビーズ、ボディドレッシング、、。JUN系列かサンエーインターナショナル系列ですね。

この頃にハイブランドに傾倒するようになり、ヴィトンやプラダを愛用するようになりました。

雑誌はオッジ、クラッシィ、JJ、ヴァンサンカンを愛読。この時期に美意識について目覚めました。


が、不況で会社がなんと倒産。

そこで私は親に黙って、アパレル業界へ勝手に職を決めてきました。

それが某メンズブランドの路面店スタッフ。

そう、レディースではなくてメンズです。アパレル業界に入るなら、まず知識を蓄えていろんなジャンルをこなせるようになりたいと思い、あえてメンズへ就職したんです。しかもスーツもカジュアルもある、オールマイティーなクオリティーの高いブランドです。(現在もあります)

メンズはレディースより覚えることが多く、また直しもかなり多いんです。

スーツなら袖丈、ウエスト、裾丈のピン打ちは当たり前、シャツ(スーツに着る)なら首回り、裄丈の把握。

素材を徹底的に覚えさせられたのもこの頃。

靴やネクタイの種類も勉強しました。


そこで自身の服装をがらりと方向転換しました。メンズショップなので、女性スタッフである私の服は基本的に私服になります。(男性スタッフはそこのブランドを社販で購入して着用)

そのブランドにふさわしい装いをしなくてはいけません。

モード系で上品なスタイルをするようになりました。ちょうどグッチのクリエイティブディレクターがトム・フォードになった時期になります。私はグッチに目覚め、私と言えばグッチと周りには知られるようになりました。

グッチの服から好きになり、次にバッグ、靴、財布やスカーフ、キーケースと珍しい順番で次々揃えていきました。(なんせファーストグッチがアウターです(笑)コート!!)


私服を買う店は勤めていたアパレル会社のレディースのお店だったり(社販で4割安くなるので)だったり、百貨店できれいめなモード系の服を揃えるようになりました。

細身のピンストライプのジャケット、細身のピンストライプのパンツ、
きれいめなブラウスかシャツ、
GUCCIのローファーだったり、ショートブーツだったり。
あとはカッティングのきれいな膝丈ワンピースにジャケット着たり。
バッグはGUCCIのレザーのリュックや、セレクトショップで買ったショルダーバッグだったり。
とにかくお金かけていたなぁ、、、。

そのあと勤めていたメンズショップのカジュアル部門だけのお店が百貨店参入することになり、私がそちらの店長として抜擢。26歳くらいかな。初めての店長❗
展示会での仕入れ、売上管理、部下の育成、
ショップのディスプレイ、顧客作り、出張、、ととにかく全て自分が責任者。
残業しまくったし(セール時期なんか夜中帰宅、早朝7時出勤ザラだったし)、大変だったけど、アパレルの仕組みや服について沢山の知識が身に付きました。

そしてそのあとに私が住んでいる地域に注目していたショップが出店することに❗
それはメンズ、レディース、インポート、雑貨とトータルでのブランドで85坪もある大きなブランド。
どうしてもそこで働きたい❗と思った私は勤めていた会社を退職して、募集されていたそのブランドに申し込み。
書類選考で1次合格して、面接で無事に合格。後に聞くと、ものすごい倍率だったとか。何百人の応募数がいて、合格したのは数人。
店長とチーフはすでに会社の人間から決まっていたので、あとはそれぞれの部門のリーダーと、スタッフ募集だったわけです。
私はインポート部門のリーダーとなりました。
(今でも覚えてる。面接に行った時に、沢山の人達が緊張しまくってる中、私と数人の人達だけがミョーにリラックスしていて、自販機で飲み物買って飲みながら自己紹介しあったの。その人達全員合格していた(笑)数日後に合格した人達との顔合わせにその人達もいて、あ❗って笑い合った〜)

その時期にセレクトショップにドハマリ。
Cher、アクアガール、WR、アメリカンラグシー、アッシュぺーフランスなどなど、とにかくあらゆるセレクトショップに開眼して(Cherには傾倒してた)、関東へ度々買い物旅行しまくったのもこの頃。
あと福岡にも近いからちょくちょく足を運んでた。

時代はカジュアルに突入。(それが今も続いてますね)
この頃から、カラフルなカラーのコーディネートをするようになり、帽子や靴も沢山揃えるようになりました。
勤めていたこのブランドは長くいましたね〜。
(基本的にショップ店員って同じ店に長くいることってあまりないんです。転職して違う店にいくか、異動が多い業界なので)
このブランドの本社の人達がとにかく、ザ❗オシャレ❗な人達ばかりで。
展示会出張が年に数回あって、リーダー以上の役職者はそこに行って仕入れするんだけど、その時に本社の人間と飲み会あるんだけど、みんな格好が芸能人なみ(笑)
ふつーにテンガロンハットとか被ってる男性の営業マンとか、全身ファー着ている女性のMDの人とかいるし。
飲み会もオシャレだし、二次会はクラブだし(笑)
沢山、業界話も聞いたり、知識が増えました。

付き合っていた彼もアパレルの人間だったので、ずっとファッションに仕事もプライベートもどっぷりでした。
これが20代後半〜30代前半になります。

、、とまぁ、私のファッション遍歴の1になります。
次回はその続き、30代半ばからになります。ちょうどカツンにはまった頃ですね(笑)

しかし、本当にファッションバカだなと(笑)
今も大好きだけど、あの頃はとにかく知識とセンスの勉強と、業界の仕組みやファッションに携わる人達との交流が楽しくて楽しくて、仕事、遊びに全てに全力投球しては吸収していましたね。
だからこそ、今の自分があるのかな。
若さと体力があるから、睡眠時間削っても遊んだし、残業しまくったし、休日も少なくてもなんとか乗りきってた。

ファッションって、音楽も本も映画も古いのから新しいものまである程度知識を入れていかないとアパレル人間として務まらない世界(認められない)。それはそういった文化を把握しながら、服って作られていくからなんです。時代を知らないと服は作れないし、売れない。
単なる腰掛け販売員はまず長く続かない。

私はそれにたまたま合っていたのと、昔ながらに服を愛する年輩の人達と沢山知り合えたことがよかったんだなぁと思います。

それではまた次回⤴️✋

ちゃお〜
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