練習。
右足はテーピングで圧迫。
左股関節は筋サポートのテーピング。
で、練習。
ウォームアップしながらゲーム形式って感じになった。
正直、痛かったけど、少しづつでも試合モードにしなければと思って、
多少、スイッチ入れてみた。
左はまずまず、右は切り替えしと踏ん張りが痛む。
右足は骨挫傷系かなぁ~などと勝手に想像しながら、
様子みつつ、動きました。
動きはまぁまぁってところで。
で、練習後、サッカー部の数人と話した。
貴重な時間だったな。
その中でのある話。
「●●(つかっち)とか▲▲とかはレギュラー確定みたいな立場だから、
ベンチのメンバーの感覚が分かりにくいのでは?」と言われた。
う~ん、それはどうかな?
その場では意見しなかったけど・・
つかっちの歴史は・・
つかっちは小学5年生からサッカー始めたんだけど、
周りはもう3年生・4年生からやってるメンバーで、
もちろん、つかっちはリフティングも数回しかできないくらいのボール扱い。
ある程度高かった運動神経のみでサッカーしてた。
小学生の時はいろんなポジション、これはチームの方針で。
攻撃系が多かったけど、ベンチももちろんあった。
中学は先生が素人だったから、先輩の相談でメンバー決まってた。
1年では何とかレギュラーに入ったり、ベンチだったり。ディフェンスだったな。。
2年からは人数が少なかったから、レギュラー。いろんなポジションで。
3年はキャプテンだったから、レギュラー。
これもまた、フォワードからディフェンスまでいろんなポジションやった。
でも、骨折したり、靭帯のばして、ギプスの期間があったんだけどね~。
高校は正直満足に試合出てないんです。
チームは2年の時だったかな、県で3位にまでなったから、結構強かったはず。
2年の時はスポーツ性貧血で治療。部活できない期間が結構あった。
先輩引退してからも、後輩にポジション奪われ、ベンチが多かった。
高校の先生からはずっと、 「おまえはディフェンスになれば、一流になれるのに。」
と言われ続けていたが、
その頃の若かりしつかっちは 「やだ、フォワードがいい。」って感じだった。
で、ベンチ。
大学は入学直前に靭帯切ってOPE。入学式は松葉づえ。
で、チームにキーパーが一人しかいなくて、秋に研修で不在だからといって、
身長のでかいつかっちが代理のキーパーすることになって、夏からキーパーに。
中国大学リーグとか、数試合キーパーで出場。
でシーズンオフに監督に言って、フォワードに。
交代で数試合出場。基本はベンチ。
大学2年からはチームの事情でストッパーとスイーパーに転向。
大学2年の秋に半月板断裂と監督との食い違いで大学サッカーやめた。
そこからは岡山の社会人リーグへ。
デビュー戦、前半キーパー、後半ストッパーで出場。
その直後の練習試合でストッパーで3点取ったもんだから、それからフォワードへ。
で広島に来たけど、所属チーム無くて、サッカーから遠ざかってた。
呉に来て、誘ってもらって今のチームに。
高校からは少年サッカーのチームのコーチなんかもしてた。
てな歴史。
長くなったけど、つかっちも決してうまい選手ではなかったし、
ベンチで試合を見て悔しい思いをした時もたくさんあったし、
サッカーしたくてもできない時期もあった。
だからこそ、サッカーを心底楽しみたいし、めいっぱいやりたい思いがある。
今のチームのメンバーも、めいっぱいサッカーを楽しんでもらいたいし、
そのために一生懸命競い合ってお互いにレベルアップしていきたいと思う。
あと何年サッカーができるかわからないけど、
できるだけGoodな形でサッカー人生終えたいから、
よりいいチームになるといいな。
という願いをもったつかっちでした。
どれだけ伝わったかはわからないけど、少しでもね。
なんだか内容が???のブログになってしまいました。
スイマセン。たまには許してね~。