一灯照隅万灯照隅 -562ページ目

一灯照隅万灯照隅

よろしくお願いしますm(__)m

『 性は神である! http://xuzu0911.exblog.jp/15361173/ 』から一部引用

以下引用記事

★人間は「 性 」から誕生する。「 性 」は神である。しかし、一神教の宗教、ユダヤ・キリスト・イスラム教などは、性を卑しいものとする。それはなぜか?本来の神(多であり一である多神教)の世界では性は神として崇拝されるが、ニセ神に支配されると「 性 」は悪魔となる。そのことを書いてみたい。


1、女陰の中に戻り、トー(十)サン(三)に出会うことを、神社や寺という建築物で表現している。

★我々は皆、母の女陰から誕生する。神社や寺の門とは【 女陰 】の表現であり、門という女陰をくぐり、階段を登り、鏡の光や仏像を拝むのは、鏡の光は「 宇宙的電気の生命の本源であるプラズマ 」であり、仏とは死んだ者のことではなく、久遠に生き続け、悟りを開いた者であり、仏は我々の神経の中に存在している。


★神社や寺は人体の内部の表現である。誕生の、逆戻り体験をすることが、神社や寺の門をくぐり、階段を登って、鏡の反射の光(プラズマ)や仏の像を拝む、ということで、古代の人体科学からあの建築物はできている。


★つまり、江戸のような性肯定の多神教的世界は平和であり、大日本帝国のような性否定の一神教世界は戦争の時代なのだ。そして、いまだに、日本は一神教的【 性道徳 】の世界になっている。


★またナチスは性に対し【 純潔主義 】で、性エネルギー昇華秘法も実践していたかもしれない。そして、戦後、ナチスの多くの者が南米に行ったことは有名である。


★世界の各地に男根石や女陰石が残っている。あれは古代、多神教の時代が【 性を神として崇拝していた 】という証拠である。また古代遺跡に迷宮があるが、【 迷宮とは女神の女陰 】である。

★多神教の時代、それはキリスト教化する前の古代ローマとか、キリシタンに支配されなかった日本の江戸時代には【 性にタブーはなく、性の楽しみの追求は悪ではなかった 】。しかし、聖書がその国に入ってくると【 性は卑しく、悪魔的なもの 】に変わってしまう。

★そして性にタブーがなく、性を肯定し、性を神として崇拝し、性を楽しむ時代は平和だが、性を卑しめ、性を悪魔とする時代は、戦争の時代である。キッパリとそれは分かれている。


★性とは神である。性を語ることは神を語ること。そして性から我々が誕生するのであるから、性を否定することは誰もできない。一神教の「 性の否定 」から多神教の「 性を神として肯定 」する姿勢に転換することが、この夜の世界からの脱出方法だろう。

以上引用終り


神様は何も禁止はしていないのです。

ただし、お酒やタバコ同様それに溺れてはいけません。「飲んでも飲まれるな」です。理性が大切なんです。

そして好きなもの同士が交わる「性」以上の芸術はありません。最高の芸術作品が「性」なのです。

しかし、最高にするのも最低にするのも決めるのは人の心です。今はあまりにも最低な性の情報が溢れています。間違った性の情報に影響・洗脳されないでください。

今の晩婚化少子化夫婦問題経済低迷の原因のひとつがここにあります。さらに結婚とは何かを知らないのも原因です。結婚とはについてはまた後で。

神様から与えられた自由の中で、もっと自分を解放しよう!でも理性は忘れないでね!