先日、ディスカバリー・チャンネルで興味深いドキュメンタリー番組を見た。
物理学者のスティーヴン・ホーキング博士が宇宙の仕組みを分かり易く解説するシリーズである。
「我思う、ゆえに我あり」
哲学者として知られるルネ・デカルトの有名な言葉である。
ホーキング博士は、この難解な哲学的思考を科学的立場から実に明快に解き明かしてくれた。
「実は、デカルトの思考実験の結果だった!」
デカルトは、人間は「肉体と精神」、この2つの構成要素から成ると考えていた。精巧な人体解剖図を作成し、人間の本質を解き明かそうとしていたのである。
彼はある思考実験を行った。「己の存在を消し去る」という、自己暗示をかけ続けたのだ。まずは、己の体が消えていくという実験である。これは上手くいった。鏡の前に立ち、完全に自分自身が見えなくなるところまで成功した。
しかし、どうしても上手くいかないことがある。「自分は存在しないのだ」という己の考えそのものまで消し去ることは出来なかったのである。この時生まれた言葉こそが、有名な「我思う、ゆえに我あり」というものだったということだ。「人間は思考する動物であり、それを消し去ることは出来ない」という実験結果から、己の存在証明を導いてしまったのである。
生きていれば辛いことや悲しいことがたくさん起こる。
でも僕は思う、だからこそ生きているのだと。
90年代後半、僕が高校生の時である。とある雑誌のインタビューに答えるルイス・ガースナーの発言に衝撃を受けた。彼は1993年、ナビスコのCEOからIBMのトップとして引き抜かれた人物である。90年代に業績不振に陥っていたIBMを見事に再建した名経営者として有名である。
「ポテトチップスを作っていた人間にコンピュータのことが分かるのか?」と揶揄されていた彼が、IBMの役員に「それで、そのマイクロ・チップとやらはポテトチップスより儲かるのか?」と発言したことで有名である。
インタビューの話に戻ろう。
「業界をリードする大企業が顧客の要望などに耳を傾けてはいけない。常に顧客の想像を超越した商品を提供する。それが、一流企業というものである。」
これが、本当に衝撃的だった。当時の日本は(今もそうであるが)、顧客第一主義、常に顧客のニーズに耳を傾けるのが大企業の使命であり、それが最終的な利益につながる。」といった考え方が主流であった。
それがどうだろう?やたらと多機能になった白物家電。機能ばかりが増え、結局、隣国韓国に大半の市場を奪われてしまった携帯電話端末に液晶テレビ…。スマートフォンと連動した炊飯器が果たしてそんなに必要なのであろうか?どこかの誰かが「あったらいいな」と発言したのを真に受けたのだろうか?
昨日、Appleの新製品"iPhone 6 / 6 Plus"が日本でも発売になった。
今回の新製品である"iPhone 6"シリーズに、僕はちょっとした違和感を感じている。それは、4.7インチ・ディスプレイと5.5インチ・ディスプレイという2種類のラインナップだ。これを消費者に選ばせる意味が果たしてあるのだろうか?
「時に選択肢は少ないほうが良い」
僕は、故スティーブ・ジョブズの熱烈な信者という訳ではないが、彼の戦略はルイス・ガースナーに通ずるものがあった。「自分たちの作る製品が世界を変える」と信じていたのだと思う。iPodやiPhoneのリリースにより、それは現実となった。彼は、「4インチ以上の液晶を搭載したスマートフォンは作らない」と明言していたのである。とにかくシンプルな物作りに徹していた彼は、他社の様に訳の分からない機能盛りだくさんの肥大した製品を嫌った。やたらと商品ラインナップが増えることもなかった。本当に納得した製品のみ、市場に投入していた印象である。
今回の、2種類のiPhone6シリーズで、確かに顧客の選択肢は広がったと思う。しかし、失ったものも多いのではないだろうか。「Appleが次の世代を担うに相応しい製品はコレ!」という明確な意思表示が見えてこない。まるで、マーケティングリサーチのためのラインナップとさえ思えてしまうのである。
業界をリードする、その分野でデファクト・スタンダードになるような企業は、常に顧客の想像を超えた価値を示し、導いていく必要があると思う。流行りのサウンドばかり追いかける音楽作りにも似ているが、顧客の言いなりではいけないのだ。常にその上を行ってこそ、驚きや感動につながると僕は思う。
「ポテトチップスを作っていた人間にコンピュータのことが分かるのか?」と揶揄されていた彼が、IBMの役員に「それで、そのマイクロ・チップとやらはポテトチップスより儲かるのか?」と発言したことで有名である。
インタビューの話に戻ろう。
「業界をリードする大企業が顧客の要望などに耳を傾けてはいけない。常に顧客の想像を超越した商品を提供する。それが、一流企業というものである。」
これが、本当に衝撃的だった。当時の日本は(今もそうであるが)、顧客第一主義、常に顧客のニーズに耳を傾けるのが大企業の使命であり、それが最終的な利益につながる。」といった考え方が主流であった。
それがどうだろう?やたらと多機能になった白物家電。機能ばかりが増え、結局、隣国韓国に大半の市場を奪われてしまった携帯電話端末に液晶テレビ…。スマートフォンと連動した炊飯器が果たしてそんなに必要なのであろうか?どこかの誰かが「あったらいいな」と発言したのを真に受けたのだろうか?
昨日、Appleの新製品"iPhone 6 / 6 Plus"が日本でも発売になった。
今回の新製品である"iPhone 6"シリーズに、僕はちょっとした違和感を感じている。それは、4.7インチ・ディスプレイと5.5インチ・ディスプレイという2種類のラインナップだ。これを消費者に選ばせる意味が果たしてあるのだろうか?
「時に選択肢は少ないほうが良い」
僕は、故スティーブ・ジョブズの熱烈な信者という訳ではないが、彼の戦略はルイス・ガースナーに通ずるものがあった。「自分たちの作る製品が世界を変える」と信じていたのだと思う。iPodやiPhoneのリリースにより、それは現実となった。彼は、「4インチ以上の液晶を搭載したスマートフォンは作らない」と明言していたのである。とにかくシンプルな物作りに徹していた彼は、他社の様に訳の分からない機能盛りだくさんの肥大した製品を嫌った。やたらと商品ラインナップが増えることもなかった。本当に納得した製品のみ、市場に投入していた印象である。
今回の、2種類のiPhone6シリーズで、確かに顧客の選択肢は広がったと思う。しかし、失ったものも多いのではないだろうか。「Appleが次の世代を担うに相応しい製品はコレ!」という明確な意思表示が見えてこない。まるで、マーケティングリサーチのためのラインナップとさえ思えてしまうのである。
業界をリードする、その分野でデファクト・スタンダードになるような企業は、常に顧客の想像を超えた価値を示し、導いていく必要があると思う。流行りのサウンドばかり追いかける音楽作りにも似ているが、顧客の言いなりではいけないのだ。常にその上を行ってこそ、驚きや感動につながると僕は思う。
KDDI系MVNOの"mineo"(株式会社ケイ・オプティコム)、iPhone 6にて利用不可であると報じてます。
一方、NTT系のIIJmioは、LTE・テザリングともにiPhone 6にて利用可能だそうです。
これで一気にNTT系のMVNOに流れそうな予感。
"mineo"は、回線状況が良好なため期待されていただけに、利用予定者はがっかりだろう…。
自分もかなりがっかり…
一方、NTT系のIIJmioは、LTE・テザリングともにiPhone 6にて利用可能だそうです。
これで一気にNTT系のMVNOに流れそうな予感。
"mineo"は、回線状況が良好なため期待されていただけに、利用予定者はがっかりだろう…。
自分もかなりがっかり…
