「妊娠」というワンダーランド~働くニンプの10ヶ月~ 「子育て」というアドベンチャー -38ページ目
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妊娠判明!!(5週6日)

*手書きの日記からさかのぼって更新しています

 風邪で一週間以上のどが痛くて、きのうはだるさのあまり一日中寝ていた。
夫が「一応、産婦人科行ってみたら?」と言うのできょう、近所のO産婦人科に行ってみた。

 尿検査の結果、先生が「糖が降りてるねえ」と言う。
生理が3日ぐらいで終わったことを話すと、「それなら、妊娠じゃないかな~」と検査をしてくれた。

 超音波で見てみると、先生が「あ、やっぱりできてますよ」と画像を見せてくれた。子宮のなかに黒いホタルみたいな小さな粒が見える。まだ全然人間のカタチはしてないけど、感動して思わずちょっと涙が出た。

 今はまだ5週目で、あと2週間ぐらいしたらちゃんと形が見えるようになるらしい。予定日は8月2日、意外とすぐのような気がした。まわりや、自分より後から結婚した人が次々と妊娠する中、「なんでできないのかなあ」と悩んでいたので、思いがけない妊娠は、とってもとっても嬉しかった。

 夫にはメールで報告しようと思ったけど、やっぱり直接話すほうがいいかなと思って仕事中にも関わらず、電話してみた。夫は「良かった!良かった!」と大喜びしてくれて、帰りになんとケーキまで買ってきてくれた。

 「トツキトウカ」とはいうものの、気づいたときにはすでに2ヶ月だから、生まれてくるまでは実質あと8ヶ月しかない。
なんか、不思議な感じだけどなるべく、そのときどきの気持ちを忘れないように、産院行ったりしたら、そのつど記録をつけよう。

まだあまり、実感はないけど・・・・。

不妊をうたがう日々

 妊娠する前は、毎日、心理的に追い詰められているように感じていた。それは、結婚して1年半たっても、赤ちゃんができなかったから・・・。

「心配しなくてもそのうちできるだろう」というのほほんとした気持ちから、一日一日過ぎるごとに「もしできなかったら・・・」という思いがどんどん強くなっていった。 
 最初のうちは「兵庫のコウノトリセンターにでも行って、ほんもののコウノトリに赤ちゃんできるようにお願いしてこようか」なんて言っていたけど、だんだんそんな冗談もいえなくなってきていた。

 京都の鈴虫寺に行って「赤ちゃんができますように」と2人でお願いしたけど「ダメだったときにショックが大きいからお願いしないほうが良かったかも」という複雑な思いが交錯していた。

 毎月、生理が来ると、心底がっかりした。「こんなに健康なのになんで?」っていう思いで時々、ほんとうにやりきれなくなった。

 あるときは、2人で歩いていてたまたま会った知人に「コレまだ?」とお腹が大きいジェスチャーをされてうんざりし、会社ではエレベーターの中で取引先の人に「お宅の会社で結婚して子供いないのは○さんとこと、あんたのとこだけだよねえ」なんて大きい声で言われたこともあった。「まあ、夫婦それぞれ色々な事情がありますから」と笑って答えたけど、爪がささるんじゃないかと思うぐらいぎゅっとこぶしを握りしめていた。

 「仕事が面白くて赤ちゃんどころじゃないでしょ」なんて勝手に解釈する人もいた。それでも「人の悩みも知らないで・・・」なんてその場で言いたくなかった。負け惜しみに聞こえたり、同情を買うのがイヤだったから。
 
 さすがに一日2~3回はそんなことを言われ続けると、「どうしてみんな人の家の事情がそんなに気になるの?」と被害妄想がでてきた。中には、ほんとに心配してくれている人や、深く考えずに社交辞令や話のネタとして言ったただけの人もいたかも知れないけど、そういう言葉にひとつひとつ反応したり、振り回されたりするのに、ほとほと疲れていた。

 気を遣ってか、うちの親や夫のお母さんがそういうことは何ひとつ言ってこなかったのが唯一の救いだった。

 それでも、しばらくすると夜寝るとき、夫に対して八つ当たりや言いがかりをつけるようになった。
「できなかったら、結婚した意味ないと思ってるんでしょ」とか「できなかったら離婚したほうが自分のためにいいんじゃない?」とか・・・今考えると本当にひどいことを・・・。
 夫がすごく子供をほしがっているのを知っていたから、「もし結婚したのが私でなかったら、今頃とっくに子供をだっこできたりしてたかも知れないのに・・・」と自分を責めた。
 
 里親制度について一人で調べたこともあった。

 しまいには、不妊治療について調べ始めた。
 原因は女性側だけじゃなく、男性側にもありうる、と書いてあるのを見て「先に検査して」と言ったこともあった。「結婚して2年たってもできなかったら、不妊を疑うべき」とよく聞くけど、2年経って、それから検査して、治療して・・・・なんてのんびりやっていたら、もう出産適齢期を逃してしまうのでは、という焦りもあった。一方で、治療を始めることになったとして「どっちが原因」かをつきとめるのも、なんか嫌な感じがした。

 夫は私が爆発するたびに、「子供ができないからって、離婚したりしない。いないならいないなりの人生を考えればそれでいいよ。好きだから結婚したんだから。」と何度も言ってくれたけど、「憐れみ」で言ってくれているように思ったりしていた。

 ついに本屋で「妊娠レッスン」という不妊治療へのステップのあり方についての本も買ってきた。すがる思いで本を開くと、「結婚して1年たっても赤ちゃんができなかったら、不妊を疑ってみるべき」と書いてあった。これまでは「2年」と思っていから、愕然とした。

でも、その本には、
「不妊「治療」を始める前に、基礎体温を測るタイミング法など自然に妊娠する方法をまずは2人で試してみたほうがいい」とも、書いてあった。

 どうしたらいいのか、色々書いてはあったけど、切羽詰まっていたこともあって
とにかく、その本を書いた先生のクリニックに行ってみたいと思った。東京・狛江なら、実家に帰ったときに行けるかも、とクリニックのホームページを見ながら日程も立てようとしていた。不妊の相談に行くのにあたって、お腹の大きい妊婦さんがいる産婦人科が一緒になっているところや、知り合いに会いそうな近くの病院では嫌だという思いもあった。

 出口を探しながらも、迷いがあって、今考えると、暗いトンネルの中にいるようななかなか前に進めないもどかしい時期だった。

頭に血がのぼる出来事

 30歳で結婚して半年後ぐらいに、いきなり別の部署の上司に呼ばれた。
私は現在は報道部に所属しているが、前に所属していた部署の上司である。

 個室に呼び出され、開口一番「子供はいつできるんだ?」と言われた。
まだ結婚半年で、すぐにもほしいところではあったけど、まだ兆候もなかったので「まあ、こればっかりは授かりものなので、そう計画的には・・」と返した。当時、その人はアナウンサーの採用を担当している立場だったが、
「妊娠して働けなくなることを考えて新人も採用計画も立てなければいけないし、まあ妊娠したらほかの部署に移ることも考えてもらうが」・・・云々とさらに続けられ、凍りつきながらも「とりあえず、社員ですから異動は断れませんが・・・・」という言う以上は、返す言葉も出ない。開いた口がふさがらなかった。
 
 仕事は入社して8年、同じ会社で一生懸命やってきた。
風邪で会社を休んだりしたこともないし、有休休暇だって取ったこともなく、
まったく男性と同じ働きをしているつもりであった。なのに、これがいわゆる「妊娠に対する嫌がらせ」であり、「妊娠するかも知れない女性への戦力外通告」なのか・・・・頭にどんどん血がのぼってくるのが分かる。

 家に帰ってきてから、こらえきれず悔しくなって泣いていると、夫が帰ってきて「どうした?」と聞いてきたのでその日言われたことを話すと
「ひどい!しかもなんで違う部署からそんなこと言われる筋合いがあるんだ?」と言って、翌日、なんと役員に一部始終を報告してくれた。

 それからしばらくして役員からは「言われたことは気にせず、頑張って仕事してくれればいいからね」と優しい言葉を掛けていただいたので、少し、気が晴れた。でも、うちの会社に限らず、「妊娠」は人員ギリギリでやっている普通の会社にとって「迷惑」なんだな・・・・と思い知らされた出来事だった。

 妊娠したら、産休、育休ちゃんと取れるんだろうか?

ニューズウィークがバイブル

 子宮ガン誤診騒動後の、今から3年前、書店で手にした本があった。
ニューズウィ-ク日本版 0歳児からの健康」という本だ。
「出産そして子育て 妊娠する前から気をつけたいこと」というサブタイトルがついている。

 いつの日かの妊娠に備えて「今から何かしておきたいこと、気をつけること」ってあるんだろうか?と思っても、妊娠していないのに「妊娠大百科」みたいな本を買うのはやっぱりなんとなく気が引けるものだ。(つきあっている男性がいたら、なおさら引かれてしまうかも?)
 ということで、「ニューズウィークならおかしくないかな?」と思いながらいそいそと買って帰った。
 
 内容は、「NYでの出産」「妊娠する前に調べておくべきこと」「母乳育児」「何歳で産むか」「マタニティーブルー」・・・など盛り沢山。「産後うつ病」「アレルギー」など気になる話題を科学的に解明したり、日本ではまだ当時重要視されていなかった「妊娠前の葉酸接収の必要性」なども詳しく書いてあってなかなかタメになる。

 中でも「マタニティもゴージャスに」という記事が興味深かった。NYのキャスターや女優が妊娠中でも普段の自分とほとんど変わりない素敵なマタニティウエアを着て堂々と人前に出ている、ということが書かれていた。
「最近まで妊娠後期の女性は夫の古いワークシャツをきてのんびり過ごすものだったが、今の妊婦は自分たちの母親がやっていたように隠れるつもりはない」。アメリカではそんな流れができつつあるらしい。確かに、妊娠して、いかにもマタニティという感じのギンガムチェックのワンピースをいきなり着ると違和感、あるだろうなあ・・・。どうせなら、おしゃれでカッコイイ妊婦になりたい、とそのとき思った。
 
 妊娠した今も、この本は私の大切なバイブルになっている。

ところで、当時「彼」だった今の夫が、結婚前でまだ「付き合っている」最中に私の部屋で思いがけずこの本を発見し
「赤ちゃんなんていらない、と思っているのかと思ったけど、真剣に考えてるんだ」とひそかに嬉しく思ってくれていたらしい。意外な効果があったかも?!

会社の健康診断で・・・・

 妊娠7年前ぐらいの話。
妊娠なんて全然リアルに思えない25歳のころ、会社の健康診断で受けた子宮ガン検診でひっかかったことがあった。
 産婦人科の男の先生に「子宮に影があるね。腫瘍かもしれないからMRI受けて。あ、予約入れるから。まあ腫瘍が悪性でガンだと子供産めないかも知れないからね」と早口であっさり言われた。言葉の意味が飲み込めず、「はあ?」と聞き返した途端、すうっと涙がほっぺたをつたっていくのが自分でもわかった。
 看護婦さんが、「あの、まだ、ちゃんと調べないとどうかは分からないですからね。」ってなだめてくれたけど、気が動転していて聞く耳も持てず、病院から会社に戻る途中の車の中でも泣けてきてしまった。

 結婚も全然考えるような時期でもなかったし、病気なんてこれまでまったく縁がない。でも、考えれば考えるほど、「もう結婚できないかもしれない」「赤ちゃんがほしくてもダメなのか」と不安不安で夜も眠れなくなった。遠く離れた実家の親にも電話したが、親も困惑気味だった。

 2週間後に受けたMRIの結果は「やっぱり影がある」。
そこで、知人のお医者さんに相談した上で、今度は別の病院で診て貰うことにした。

 すると、
「これは、卵巣に血液が固まっているみたいですね。おそらく卵子が飛び出してときに勢いが強くて、できたものでしょう。念のため2週間後にもう一度診ますが、おそらく問題ないでしょう。」といわれた。
それって、・・・「ガン」だなんて、まったくの誤診ってこと???

 突然体の緊張が抜けて、ほんとにふにゃ~となってしまった。
(その先生には、妊娠した今、お世話になっている。「恩人」ともいえる人だ。)

 でも、これをきっかけに「赤ちゃん」について真剣に考えようになった。
それまでは、赤ちゃんは望めばすぐ生まれるものだと思っていたけど、もしかしたらそうではないこともあるかも知れないということや、自分の健康に対する過信のおそろしさ。そして「私もいつかは赤ちゃんがほしい」と思っていることに気づいたこと。それだけでも、「誤診」が思いがけない「収穫」になったかも知れない。それ以来、同年代の友達にも「検査したほうが安心だよ」と勧めている。後から気づいて取り返しのつかないことになったら、そのほうが怖いから・・・・。その後、あまり興味がなかった向井亜紀さんの代理母出産にいたるまでのニュースや、不妊治療での卵子提供の是否、海外での凍結卵子保存などの話題を、自分の身に置き換えながら見るようになった。

 もちろん、35歳を過ぎてからでも、最近では40歳過ぎてから妊娠する人もおおぜいいる。私だって、もし、その年代でも確実に産めると分かっていれば、実は妊娠を後まわしにしたいほうかも知れない。でも、こればっかりは自分の思うとおりに計画的に行くものではない・・・・。
 
 しかも仕事をしていると、なかなかそう早い時期にチャンスがめぐってこないことも多い。「妊娠するなら体の機能としては20代前半が良い」なんて言われても、大学出て就職してからすぐ産むなんていろんな意味で不可能に近いのではないだろうか。

 自分が、どういう人生を送りたいのか、子供はいるのかいらないのか、いるなら何人ぐらいほしいのか、仕事は中断するのか、やめるのか。そもそも、どんな仕事を選ぶのか。妊娠、出産についてじっくり考えることって、実は自分の一生を考える上でとっても大切なのではないだろうか・・・。

 7年前の、そんな気持ち・・・。



 
 




 


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