『受験必要論』
集英社
2013年
林修
ここで言う受験とは、大学受験を指しています。
受験とは何か?結論から言うと、それは特権的なことである。
世の中には家庭の事情や経済的な理由で受験したくてもできない人も沢山いる中で、受験できること自体は特権的なこと。食事や睡眠のようにしなければ生きていけないこととは全く次元の違う話で、大学という自身の可能性を探す場所への挑戦を親がさせてくれることは恵まれており、そもそも勉強できるということは贅沢なこと。
そして今の大学入試制度や受験に関しては
○ 東大理Ⅰ.理Ⅱに飛び級を導入せよ
○ 結果が出る科目を1つ作れ
○ 浪人を勧めない理由
○ 受験は辛くないと危険だ
○ 受験にはフライングもスピード違反もない
○ 日本史を必修にすべきである
○ 受験勉強をする目的とは何か
○ ゆとり教育にするなら、むしろ詰め込み教育の方がマシ
など、これ以外にも具体的な提案や意見を提示しているのですが、それよりもこの本を読んで、そもそも「勉強」とは何なのかを改めて考えさせられました。「効率よく」勉強しなければ受からない受験生が沢山いる一方で、1つの目的に向かって直線的に進むのではなく、雑多なものにもよく分からぬままに取り組み、役に立つかどうかなんて考えずに色々なものに興味を持って思い切り没頭する、勿論ムダなまま終わってしまうものもあるが結果的に全体の水準も上がり、受験も楽に終わった。これが林先生の受験だったようですが、これができると正直理想でしょーと思います。でも実際は、いかに無駄を排し短期間で効率よく学習できるか、それに親も躍起になることも事実です。でも理想論ではあるができるならそんな受験をしたい、そう思います。
「分からないことを抱え続けていくことの大切さ」「分からない時間の尊さ」を自身のエピソードを通して書いているのですが、中学生の時に夏目漱石を読んだ林先生に父親が『どうだ、分からないだろう』と言い放った話。その後、高校でも大学でも今に至るまで漱石を読み直してきた経験から、親がすぐに子どもに放ってしまう『どうして分からないの?』という言葉や、大人が教えすぎて分からせすぎてしまうことへの反省。私自身大いに当てはまります。
他に、中学の時に通っていた公文式と英会話学校が自身の勉強に役に立ったこと、「管理」や「夏休みの補習」が全くなく、「宿題」もほとんどなくて先生が午後3時半には『俺も帰るぞ』と退勤してプライベートを満喫するような東海中・高は最高の環境だった話、親や妹の図書カードまで利用し、図書館を住処として本を読みふけっていた子どもの頃の話など、面白エピソードを沢山知ることができました。テレビで引っ張りだこですが、そういえば東大出身の予備校講師以外の情報はあまり知りませんでした。
地頭、、の話はしたくありませんが、やはり持ってるものが違う、そう感じた一冊でもありました。
