今年は新盆でした





去年の12月に叔父が急に入院、まさかの末期がん。

叔父は結婚してなくて、料理人の仕事をしながら各地を転々としていた。

1ヶ月に1度くらい家にひょっこりとケーキの手土産と少しの雑談をしに来ていたくらい。

酒もタバコもやるけど運動もするし節制もしていて、具合が悪いような風には見えなかった。


しかし8月、いつもの感じでは無かった。


明らかに痩せて(本人は糖尿?あるから痩せろと医者に言われたと言っていた)少し動くと息切れをするようだった。

医者には定期的に行っているし、検査も変わりないとは言っていたが今考えると多分、相当ガマンしていたんだと思う。


そして12月に入り、いつものように家に顔を出して開口一番「仕事全部キャンセルしてきた」と言いにきた。

私がどうしたのか聞くと、やはり夏過ぎから調子が悪くかかりつけ医からちゃんと検査した方がいいとのことらしく、その準備をしに必要なものを家に取りに来たのだと。

「これ確認してみてくれ」と自分が入っている保険の書類などを私に見せてきて入院の保証などの確認をしたりした。

「これで大丈夫だな」

そう言って3日後の精密検査を待つことになった。



が、次の日叔父からの電話


「入院した。医者から説明あるから来てくれないか」


あまりの辛さ(呼吸がしずらい)に自分で入院させてほしいと病院に行ったのだ

その日の内に入院、呼吸器、医者からの話

心の準備をする暇もなく病院へ。


「末期がんです。1ヶ月あるいは…明日(亡くなっても)でもおかしくない。」


母と一緒にそう説明され、本人にも同じく正直に説明(叔父が希望して)したと。



病室に行くと鼻から呼吸器を付けた叔父から入院する為の書類を受け取り「話は聞いたか」と

私は聞いたよと言うと「迷惑かけてごめんな」と私の顔を見て言った。

それ以上は多くは話さなかったが、本人は呼吸器を付けたら随分楽になったらしく、そこにはいつも通りな叔父がいた。













それから約1ヶ月、コロナ禍と言うこともあり1度面会したくらいで叔父には会えず、ただ電話は出来るので必要なものや洗濯物、時には食べたい物など病院に持って通った。


医師から許された1度きりの面会の時、亡くなった後の事の話もした。


「入院したことは誰にも言わず、亡くなったら限られた人だけに伝えてくれたらいい。あんまり派手にせず静かに、頼むな。」


そう言うと、私が差し入れしたスポーツ紙に真剣に目を通しはじめそれ以上はなにも言わなかった。

(叔父は競輪が好きでこの年の年末の大きなレースに全賭けした)









そして年が明けて、1月31日

叔父は逝った。



本当にガマン強い叔父だった。



とても頑張った。














叔父に言われた通り、親しい人だけで小さな葬儀をした。


みんな知らなかったので当然驚いていたが、仕事で付き合いがあった人には叔父が自分で連絡していたようだった。


叔父の棺には大好きなお酒とタバコ、料理人の仕事で着ていた割烹着を入れた(包丁はだめだった)





初めて自分で色々決めてさせてもらったお見送り、

これで良かったのかな、叔父ちゃん。













そしてあれよあれよと月日は経ち、無事に?お盆を迎えられた。



来年早々には一周忌の法要もある。




それにしてもお盆ってこんな暑かったっけ??



「夏だから暑くて当たり前」


叔父ちゃんの声が聞こえてきた気がした。