アメリカ民謡 The House Of Rising Sun 
この舞台になった、ニューオーリーンズの娼婦の館、The House Of Rising Sun

正式名称なのか異名なのかははっきりしませんが、Soleil (ソレイユ)と呼ばれたやり手の女将の経営する館の事であったそうです。

この舞台になった、ニューオーリーンズは、JAZZの発祥の地でも有名です。
※地図は、Google Map より

そして、このニューオーリーンズの歴史、JAZZの歴史、The House Of Rising Sun があった頃の世相、色々と調べると、JAZZの原点が浮かび上がってくると私は思うのです。

 ニューオーリーンズは、メキシコ湾につながるミシシッピ川に沿った街で、大きな歓楽街があったルイジアナ州の中心都市です。


フランスの植民地からスペイン領になり、またフランス領になり、更にアメリカに売却されて今に至っています。


メキシコ湾に繋がっている事からヨーロッパからの貿易拠点と国内の水運による拠点でもあり、歓楽街を抱えて大きく発展しました。

JAZZの発祥の地と言われるニューオーリーンズは、ストーリーヴィル (Storyville)と呼ばれる公営売春地区が19世紀末から20世紀初頭に栄えて、一大観光地となっていました。
この下の絵の一帯がそのストーリーヴィル地区です。
※画像は、Wikipediaより

当時の絵を観ると、売春宿と言うよりも、娼婦の居館、娼館が並んでいた場所です。
画像は、Wikipediaより

売春宿というより、見た目は館ですよね。

その全盛期は、1897年から1917年の20年ほどでした。

1897年、ストーリーヴィル (Storyville)という、オランダの公認売春地区をモデルにした公認の売春地区をニューオーリーンズ市政府が駅前の区画に整備。大いに栄える観光地に発展していったようです。
今で言ったらテーマパークを駅前に作ったのと同じですね。

19世紀末頃のニューオーリーンズ地方のスラングで性行為をjass、娼館(売春宿)をJass Houseと呼んでいた事から来ているとの事です。その一階が演奏を聴きながらの酒場で二階が娼婦と共にする部屋がある宿となっていたそうです。小さな店ではピアノだけの店から、トランペットやクラリネットなどを入れた数人編成のものまで様々で、ニューオーリーンズの町中至る所で音楽が流れる音楽の街に発展し、様々なミュージシャンが集まる様になります。

酒場部分を主な演奏場所にしていた演奏家たちのことをJASS BANDと呼んだことが、JAZZ Bandの語源となったという説もあるようです。

酒席と音楽の発展の関係も深いものがありますね。
古来から祭りや神事などで欠かせない音楽は、酒席とも切り離せないです。また、気持ちがハイになる為に盛り上がる為にも音楽は使われて来ました。
そう言った意味でも、豪勢な館の一階で音楽を聴いて飲んだり踊ったりしながら、好みの子を選んで上の階に上がって行くというのは、今でも東南アジアなどの観光地にあるとネットなどで見聞きするゴーゴーバーのシステムを連想します。

そういう意味では、19世紀は、まだアメリカは新興国。先進国のヨーロッパから人が仕事や観光でやって来て遊んでいったり、アメリカ国内の人達が、ニューオーリーンズに行けば楽しめるという事で、公認売春地区であったわけです。
1947年のニューオーリーンズという映画は、正に、そのニューオーリーンズを舞台にした映画で私も何度も観ましたが、売春宿という部分を表に出さずに、半ば女人禁制の酒場で夜な夜な当時の最先端の音楽を演奏している場面が出て来て、ルイ•アームストロングやビリー•ホリデーも出演しています。
女性の行くべきでないというのも、売春宿だったからなのですね。
そして、映画には港に海外からも国内からも沢山の船が行き来して、観光客や船乗りが沢山乗り降りしていました。船の上でもジャズバンドが演奏して、船毎に盛んに競い合う様に演奏しているシーンがありました。
30年以上前に禁止されて衰退した売春地区の事を映画にされましたが、売春地区だった事をオブラートに包んで当時クラシック音楽に代わって最先端の音楽として脚光を浴びていた文化としてのみ紹介されたものと今にして思います。
欲望、快楽と文化の成り立ちは表裏一体の部分もあると思うのですね。
映画では、街のゴミとか落書きとか、ホームレスとか、見せたくないものは出てこないですよね。
特に時代物では、単純に街並みは美化されるものです。
もしかするとですが、Jass がJAZZに、Jass Band がJAZZ Bandに変化したという説は、あながち間違いではない気もします。売春と直結するものではなく、スペルを変えて発音も少し変えたのではないかと。

Jass 売春宿 の一階の酒場で時には陽気に、時にはムーディーに音を奏でる音楽隊。Jass Band
しかし、売春宿音楽隊 というのも聞こえが悪いですし、その他の盛り場でも街の至る所で演奏する様になった事も合わせてJAZZ Band になり、その音楽そのものがJAZZと呼ばれる様になっていったのではないのかと感じます。

さて、栄華を誇ったニューオーリーンズですが、1914年に起きた第一次世界大戦を境に一変します。

ニューオーリーンズの近くには陸軍と海軍の基地がそれぞれあり、売春婦からの性病感染を危惧していたところに兵士がストーリーヴィル地区で殺害される事件が立て続けに4件起こった事もあり、陸海軍が事態を重く見て、アメリカ連邦議会にニューオーリーンズの公営売春地区廃止を強く働きかけます。そして、アメリカが参戦した1917年に公認の売春宿は廃止となりました。

当時のニューオーリーンズ市長マーティン•バーマンはじめ、地元の猛反対を押し切っての可決だったそうです。市長を先頭にした地元が大反対したというのは、その20年間で如何に公営売春で潤って発展して来たという、その時代を知らずに現時点の道徳観念だけでは伺い知らないものがありますね。
そして、ニューオーリーンズ市の観光の目玉として公営で整備したものですから、国家の命令には逆らえず、あえなく売春は非合法になり、それぞれの店はダンスフロアや盛場などに業態を変えますが、勢いを失っていったそうです。

更に追い討ちをかけたのが、1920年に制定され1933年まで続いた禁酒法です。
ミシシッピ川で繋がったシカゴ、そしてニューヨークで政府の影響が及ばない力を持つ地元マフィアなどの酒場が大繁盛していったそうです。

公営の盛場から、闇の盛場に主役が交代して行ったのですね。

そして、ニューオーリーンズのミュージシャンは次々とミシシッピ川を遡って、シカゴなどに稼ぐ場所を移って行きました。その中に、若き日のルイ•アームストロングもいました。

今回の、The House Of Rising Sunは、舞台女優でもあり、黒人の演奏家と組んでツアーをして黒人の公民権活動にも熱心だったリビー•ホルマンの歌を紹介させて頂きます

The House Of Rising Sun
Libby Holman 1940年


尚、日本語の歌の題名は、浅川マキさんが作詞された、朝日が当たる家 が有名ですが、
モデルになった館、The House Of Rising Sunは、
灼熱の太陽の様なソレイユという女将の経営する事からしても、とても楽しい音楽を聴いて美味しいお酒を飲んで好みの女の子と一夜を共にする、その時代の男達にとっては活力源の様に吸い込まれていくお店だったんだと想像します。

そういう意味では、朝日が昇る家そのままが意味的には合っていると私は思います。

深川隆成
日本語訳
朝日が昇る家


作曲者不詳、アメリカ民謡
日本語歌詞、深川隆成

辿り着いたのは娼婦の館
売られた女や逃げてきた女
母さんが夜通し縫ったGパンを
今も履いてるよ。これからもずっと

父さん博打うち飲んだくれ
金に困って私を売った
愛した男もヤクザ者
こんな運命(さだめ)に誰がした

一緒の男が何処かに消えた
父さん死んだと母さんの手紙
これから帰るよ故郷に
幼い妹を幸せ

これから帰るよ故郷に
幼い妹を幸せに

これから帰るよ故郷に
待ってて母さん
幸せにするよ

※尚、余談ですが、ニューオーリーンズに日本で似た街といえば、地形的には私は川崎を連想してしまいます。

多摩川を境にした東京と隣接する100万都市川崎市。

ミシシッピ川に沿った場所に栄えているニューオーリーンズに見た目は似ていますよね。

※写真は川崎市航空写真フリー画像より

そして、川崎は、日本で唯一全てのるつぼの場所でもあります。

高層ビルに囲まれて大きな地下街もある駅から真っ直ぐ行くと、仲見世通りという飲み屋街、その外側を囲む様に県合同庁舎や信用金庫や銀行、市役所などの官庁やビジネス街、その先には、写真で楕円形に見える川崎競馬、川崎競輪などの公営ギャンブル。公営ギャンブルが終わってから数百メートルを歩いて川崎駅に帰る途中、右側になる市役所の裏側は、日本最大級のソープランド街堀之内、左側には南町。ギャンブルで勝った人が散財する様に上手く、飲み屋街とソープランド街を通って駅に帰る様に出来ているのです。
そして、少し離れると様々な企業の研究施設や工場が放射線状に南武線沿線や京浜東北線沿線などに広がっているのです。

そう、半径1キロの中に人の営みが裏表全て詰め込まれている街、川崎。

東京で言えば、大手町と府中、吉原、新宿が半径1キロ以内に一つになってしまった様な場所です。

日本全国、100万以上の都市で、ギャンブル、飲み屋街、性風俗、ビジネス街、商業施設、工場といった人の営みが全て詰まったのは、ここだけです。

公営売春地区が川崎の、堀之内よりも広い一角に広がっていたニューオーリーンズ。
それはそれは、凄い賑わいだったでしょうし、様々な人がそこで様々な思いをして生きていた事でしょう。

そんな事からも、川崎は、The House Of Rising Sun の営みを現代風に感じる事の出来る場所でもある様な気がします。

私は、1994年から2006年まで仕事の関係でずっと川崎の武蔵小杉地区に住んでいました。タワーマンションが出来る前です。
飲む時は、もっぱら川崎駅前から真っ直ぐ伸びる仲見世通りで飲んでいました。
たまに朝方まで飲める様なカラオケを歌えるお店に行くとソープランド嬢が飲みに来たりとかもしていました。お金の使い方が一桁違っていましたが、その仕事をする迄に色々あったり、今の仕事に何かしら鬱屈したものを持っていてついつい飲んでお金を散財する人も見かけました。
そんな中で、話しているうちに、お前になんか私の気持ちなんかわかんねえよ!と突然怒りだした子がいた事もありました。その後、ある日、元ソープランド嬢だったきっぷのいい女将さんの小料理屋でバッタリあった時に、知らんぷりされましたが。

小料理屋の女将さんみたいに自分の店を持ったりして自立した人もいれば、散財する人もいるでしょうし、過去を洗い流して下手な人生を歩んだり、幸せを手にした人もいるでしょう。人それぞれであると思うのです。

そんな事もあり、私は、The House Of Rising Sun の歌詞をお金を貯めて故郷の母と幼い妹を楽にさせる為に故郷に帰る事に変えたのです。
元々の英語歌詞も、様々なバージョンがあるので、私なりのハッピーエンドにしたわけです。