rrrのブログ

rrrのブログ

アラサーの中学校教員です。
学校で働くなかで感じたことを書きます。
配慮なく書いてるかもしれません。

Amebaでブログを始めよう!
子どもが出勤時間よりも前に登校してくるってどういうことこれ?
登校時間は7:45
出勤開始時間は8:10
どういうこと?
養護教諭ってなんのためにいるの?
保健の授業なら、体育科がやればいいし、専門的な医学も学んでない人間にケガや体調の確認や判断された結果って信憑性ある?
だったら、初めから看護師を置いておくべきでしょ?
スクールカウンセラーだっているし、養護教諭の必要性ないわ。
ってか、養護教諭が土日保健室を開けてないのも気に食わない。
もし、部活中何かあっても全部顧問の判断やん。
顧問で判断していいなら、なおさら養護教諭なんて必要ないやん。
学校での活動のなかで、一番ケガや体調不良になるリスクが高いのが部活動なのに、それを行なっている土日に養護教諭がいないというのはおかしな話。
養護教諭にあてる金を専門性もった人間にあてろ。

インターハイないのに、なんで甲子園は開催されるの?熱中症のリスクもあるのに。
これだから、野球は嫌い。 
この考えに言い返せる理由ってある?

勘違いの芸能人気取り女は、周りの裕福さに支えられた何もできない無能人間である。浮かれていることにも気づかないうえ、感謝は知識として知っているが、それはただの偽善であり、本当にそれが大事だと言うことは理解していない。結局はどうにでも、なんとかなる精神で、結婚すれば丸く収まると思っているプラスにもマイナスにもならないただの資源の無駄づかい。


芸能人気取り女の行末、2パターン

①少し売れた女

芸能人気取りのまま活動していて、奇跡的に少し売れて人気でたやつの場合、ちやほやされている間は自分の人気に酔いしれているために時間の経過に気づかない。ブームが去ったあとは、婚期を逃していて、若いうちに結婚できず、売れ残ってしまう。そういうやつって過去の栄光がどうしても忘れられないから、40代とかになっても、ちやほやされたい気持ちが捨てきれない。そして、結局どうなるかというと、AV出演というカタチになり、自分を見てほしい感情を爆発させる。

アホ。


②全く売れない女

全く売れない女の場合は本当にバカだから、救いようがない。

こういう奴はインスタで、犬、ヨガ、筋トレ、美ボディ、手料理という結局定番のものしか載せられない。だって、客観的に自分を見ることができない脳みそだから。バカだから、これらの投稿ばっかりなってしまう。


教師の世界には正解がない。
あるとすれば、"子供のためにやる"という想いかもしれない。
でも、それはあくまでも形のないものであって、人によって価値の変わるモノである。
そうであるがゆえに、教師それぞれの想いはバラバラであり、そこに優劣はつけられない。
なぜなら、人の価値観はバラバラだから。
これが厄介。
教員によって想いはバラバラだから、これが正しいと思うことも、それぞれバラバラになってくる。
「正解がない=わかりやすい基準や答えがない」ということになるため、その教員が正しいと思うことに対して、正解不正解がつけられない。
そのせいで、人のことをとやかく言えなくなってしまい、あきらかにおかしい価値観や考え(第三者が判断しても)をもってる教員も放置されてしまうのが現状である。
よく言われる、社会経験のない世間知らずな教員というやつに分類されてしまうやつだ。

そして、優劣をつけられないことをいいことに、仕事の量があきらかに変わってくるときがある。
例えば、母親の教員。夕飯の準備を含めた家事で、早く家に帰らないといけない。だから、退勤も早い。それゆえに、仕事もあまりできない。
だいたいその時点で、その人の優先順位の一番は、仕事ではなく、家庭なのだ。家庭が一番な教員は仕事をしたがらない。それは仕方ないことかもしれないが、明らかにおかしいところがある。
それは、仕事をするうえで、いかに早く帰宅するかを考えることに重きが置かれ、子どもためにという概念からどんどん離れていく。そうなると、別にその人が教員である必要性はない。しかも、女の教員は家庭が優先になると、部活もやらない。母親教員だから、やらなくていいという決まりはない。
むしろ、ワークライフバランスが大事だと言うなら、男性にばかり主顧問をやらせないで、母親教員も主顧問をやればいい。そうすれば、いかに家庭と部活の両立ができないかも伝えられるはず。まあ、これは余談であるが、とにかくワークライフバランスを母親教員は特に履き違えている。
後は、それこそプライドのない教員。
必要のないプライドは捨てればいいが、周りからの目を全く気にしない、何を思われようが自分には関係ないと思って、マイワールドで仕事するやつ。
これも厄介である。
プライドないことは良いことだが、なさすぎて周りの目を全く気にせず、自分の世界で進めていくのだから、本当に面倒である。たいてい、こいう人はこっちが言っても聞き耳ひとつ立てないか、もしくは言っても入っていかないタイプのどちらかである。ある意味、アスペルガーかもしれない。
そうなると、子どもだけでなく、大人に対しても特別に支援をしていかないといけなくなってしまう。
こういうやつのなかで、マイワールドで終わってくれればいいが、自分の世界を押しつけてこようとするやつもいるから、よけいに面倒。後者は甚だ消えてほしい。

まあ、こういうことを言い出したところで、価値観はバラバラでしょと色んな人がいるから仕方ない、と言われればもう終わり。

正式に教員を評価する制度を導入し、ある程度の成果主義も取り入れていかないと教員の世界は変わらない。
実際にある、教員評価の制度は形だけで、機能していない。

こんなことでは、教員の世界は変わらない。

提出物を期限間に合わず、廊下でみんなの前で怒られている生徒がいた。

この生徒は明らかにADHDの傾向がある。

診断はおりてないが、その特徴はある。


注意欠陥という障害があって、忘れてしまうのは仕方ない。

診断はされてないが、もしADHDだったらどうするのか。

注意が散漫な障害をもつ生徒に対して、忘れるなというのは、目が見えない人に対して、しっかり見ろと言ってるのと同じではないのか。


ほんとうにバカだ。

教師の指示、教え方が良くない
生徒の動きが良くない
教師が怒る

こんな指導は最低です

教師がきちんと指示してわかりやすく教える
生徒が良い動きをする
教師が褒める

このサイクルを作らないといけない

教員は気持ちの余裕が必要

ないとき
こんだけ準備してるのに、なんでアイツは寝るの?
なんでちゃんとやれへんの?
なんで集中しないの?
これね!
この思想。危険やわー
おまえの授業が下手やから寝てまうねん
集中できひんねん
くそ

子どもに指導する、教える

 

どれだけ準備できているかですべてが決まってくる

 

①徹底された準備のもとの指導

⇒子どもも落ち着いて指導のもと動くことができる

 

②準備不足による指導

⇒子どもの理解が薄く、行動ができない

行動ができないとどうなるか?

⇒教師は怒る+子供のせいにする=「なんでできないの?」という感情

 

これは自分の準備不足を棚に上げて、子どものせいにするゴミ行為である

 

 

多くの教員は②のパターンである。

自分が学んで準備して、とかいう思考には至らない

これこそゴミだ



学校は閉鎖的社会です。


閉鎖的社会が故に、新しい勤務先や学習会、様々な学校関係者の会議に出ると自分の実力不足を痛感する時がある。


どんな分野、状況でも、世界は広く、上には上がいることを頭に入れておかないといけません。

それがないと、過信につながり、いつか痛い目に合う。



どんな場所でも状況判断をし、柔軟な対応、そして自分の芯を持つことが大切だと思います。


置かれた状況下で常に花咲く教員でありたい。