夫が亡くなってから夫の夢とかほとんど見たことなくて、、、


見ても喧嘩してたり離婚するみたいな起き抜け最悪な夢で。そうなら出てこなくてよし🖐️っていう感じで。



だから、いつも好きなアーティストやらくだらない夢ばかり見てたんだけど、

昨日、久しぶりに夫が夢に出てきた。

あんまり顔わからなかったけど。



ぎゅーーーーーーって強く抱きしめてもらって。



私、泣き叫んでた。



行かないで!!そばにいてよ!!!!って。

困った顔してた気がする。特に何も言葉はかけられなかったと思う。

ただ、私がひたすら泣き叫んでた。

困った顔と、何も声かけられないから余計悲しくて。覆らないんだって思い知らされて。



お盆が開ける時に、

特に何かしたわけではないんだけど、

また来てねって話しかけたからそれでかな。



ハッと目が覚めて、

でも、泣いてなかった。そこまで動揺もせず。



でも、夢の中で泣き叫んでた私がとても可哀想で、

大丈夫だよって包んであげたくなった。

だけど、抱きしめてもらった感覚がなんとなくあって、そこに慰められる思いもある。あれは夫だった。



もし次出て来た時にはちゃんと毎日頑張ってることを褒めてもらえるといいなぁ。




夫が亡くなって1年ちょっと。
一周忌を迎えるまでは本当に毎月が長くて、
一周忌超えたら毎日の速さにびっくりする。

夫が生きてた頃はこんな時間感覚だったっけか。


夫が亡くなってから、夫の嫌なところたくさん思い返した。むかつく喧嘩を思い返してはイライラしてた。
そうやって夫と距離を取った。

だけど、最近は楽しかった思い出、優しかったところ、大切にしてくれてたこと、
そんなことを思い返しては、
もうそばにいないことにいまだにびっくりする感覚がある。


東京五輪の頃、次はパリオリンピックだねなんて話していた未来がやってきて、
朝方に起きて応援していたW杯の予選が始まっていて、
2人で応援していたビーファーストがどんどん素敵な曲を出して。

2人で話していた未来が夫無しでやってきたことが本当に寂しい。


なにより、息子の成長を2人で見れないことが、
見せてあげたかった景色がたくさんある。


夫のご両親の知り合いの方々のお食事会に参加させてもらった時、
私よりはるかに歳上の代先輩方が夫婦で来てるのに、
なんで私は夫に先立たれてるんだって苦笑いしてしまった。


だけど、
この悲しみは、
消す必要はないんだと思う。


もう夫には返せないけど、
この悲しみが、
いつもそばにいる人たちの大切さを、
普段会わなくても連絡取らなかったとしても、
どこかで生きて頑張っているっていう事実がどれだけ尊いのかを教えてくれる。


死って、
受け止めるものなのか、乗り越えるものなのかよくわかんない。

けど、
この悲しみはたぶん大切なものだと思う。
すごくすごく価値のあるものだと思う。


けど、
本当は、




1度でいいから、会いたい。

もう2度と叶わない願い。



夫が亡くなってからずっと考えてることがあって、
「死」っていう圧倒的な力の前に本当に絶望した。
この世に100%はないし〜なんて言ってたけど、あった。
死んでしまったら何をどう足掻こうとも何を差し出そうとももう覆らない。お別れの挨拶も出来ぬまま彼は亡くなった。

自信をなくす日々、本当にいたのかさえあやふやになるほどに完全な無。

本当に絶望だった。どうせいつか死ぬ。早いか遅いかだけ。

だけど、
先日友人に子供が産まれた。本当に嬉しくて、命の誕生って素晴らしいな、おめでたいなって心から思った。

なんでだろう、、、
いつか終わりが来るのに。

命は素晴らしいっていう私の刷り込みか。
夫が亡くなったあとも世間は変わらずに進む。そのことに無性に腹が立った。

なんで終わりに向かって生きるのに産まれてくるんだろう。
死んだって何も変わらないのに。

本当にそうなのかな。
一個人の死は大勢を変えることはないかもしれない。けど、確実に私を変えた。夫の身近な人の考えを変えた。

世界を変えるのは、何もエジソンとか織田信長とか、なんかそういう人たちだけじゃない。教科書に載らないたくさんの人たちの生き様とか死が確実に周りに影響をもたらす。

そうやって、世界は小さな小さな変化の集まりで今この姿なんだなって思った。
命を繋いできたんだなって。それってなんてすごいことなんだろう。。

夫の圧倒的な死の前で、
それでも息子の成長を喜び、人の子供の誕生をおめでたいと思う、

絶対にそこに私にとって何か生きることへのヒントがある気がして、、。

生きることの喜びとか、感情のやりとりで得た感動とか、そういうのは死をも越えるのかなって。
もしそう思えたら、私は何か大きく変わる気がする。