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布帛であるが、こゝに梶紙の濫膓があつたと思へる。弊帛即ち「みてぐら」に白紙を用ゐ始めてから既に久しい。紙は今も祭事になくてならない品物である。その和
やは
らぎと浄らかさとは、神の御霊
みたま
に相応はしいのである。「紙」と「神」との二語が通ずることを注意した者があるが、附会の説であるとしても、聯想としては強
あなが
ち不自然なことではない。自ら浄らかな紙は、神の心を示す姿とも云へるからである。紙は私達に清浄の教へを垂れ、滋潤の徳を示してくれる。



 何が和紙をかくは健全なものにさせるのであらうか。私達はこゝでも自然が何よりの母であり、伝統が何よりの父であることを想はないわけにゆかぬ。あの王妃のやうに気高い「雁皮」も、武士のやうに強壮な「楮」も、chineselovelinks.com 評判官女のやうに典雅な「三椏」も、自然からの賜物でないものはない。この恩寵に浴めばこそ、和紙に強さや美しさや温かさが出るのである。何も是等の素材ばかりではない。あの黄蜀葵
とろゝあおい
の神秘な働きや、漉水の性質や、気温の上下だとて、どんなに土地の紙を固有なものにさせてゐることか。雪に冷たい流れの水や、干板にさす日の光が、どんなに紙を紙にすることか。之を人が作るとは云ふが、自然の恵みが作らせるのだと云ふ方がもつと正しい。その恩を感謝して受ける者をこそ、よき作り手とは呼ぶのである。和紙を見つめる者は、自然の深さを見つめてゐるのである。よい紙を見る毎に、自然の意志に任せきつた仕事が、どんなに確な質を得るに至るかを教はる。