創世記によると,神は最初の人間アダムとエバを創造した時,エデンというよく潤った園に二人を住まわせました。アダムとエバには完全な健康と,永遠に生きる見込みがありました。死ぬとすれば,それは罪に対する罰でした。(創世記 2:8‐17。ローマ 5:12)二人は「子を生んで多くなり,地に満ちて,それを従わせよ」と命じられていました。(創世記 1:28)結果として,全地は楽園<パラダイス>になり,支配者である神に喜んで服する完全な人間で満ちるはずでした。

残念なことに,アダムとエバは神に背き,創造者の目的を遂行する機会も,永遠に生きる見込みも失いました。それでもエホバ神は,地球に対するご自分の目的を果たされます。こう述べておられます。『わたしの口から出て行くわたしの言葉は,成果を収めずにわたしのもとに帰って来ることはない。それは確かな成功を収める』。(イザヤ 55:11)エホバの目的は,地球を楽園にし,ご自分の特質を反映する人々をそこに住まわせることであり,それは聖書の主要なテーマの一つです。―ローマ 8:19‐21。

ねとらじ放送で午前6時から8時までの時間帯で放送しています。

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「終わりの日」という言葉は,最近よく目にするようになりました。英語だけに限っても,幾百もの本の題にこの語が使われています。例えば,最近出版された「無邪気さの終わりの日―戦うアメリカ,1917‐1918」(英語)と題する本について考えてみてください。その序文には,この本で「終わりの日」という語を用いるとき,それは道徳が甚だしく退廃してきた特定の時代を指す,と明記されています。

また,「この国は1914年以降,過去のどんな時代よりも急激な変化を経験していた」という説明もあります。確かに1914年は,かつて経験したことのない世界的な戦争に突入した年です。「それは総力戦であり,軍隊と軍隊の争いというより,国民と国民の争いだった」と,その本は述べています。これから調べますが,この戦争は,聖書でいう「終わりの日」が始まった時に生じました。

この世界が実際に終わる前に,「終わりの日」と呼ばれる特定の時期があるというのは,聖書の教えです。実際に聖書は,かつて存在していた一つの世がすでに過ぎ去った,つまり終わったことについて述べ,「その時の世は,大洪水に覆われた時に滅びを被った」と説明しています。その時とはいつのことで,どんな世が終わったのでしょうか。それは,ノアという人の日に存在した,古代の「不敬虔な人々の世」でした。同様に,今ある世も必ず終わります。しかし,神に仕える人々は,ノアおよびその家族と同じく,終わりを生き残ります。―ペテロ第二 2:5; 3:6。創世記 7:21‐24。ヨハネ第一 2:17。