先日、東京の下町にある商店街にお邪魔した。この商店街では20年ほど前に商店主らの出資で株式会社が設立され、近隣の病院内での売店・レストランの経営や、高齢者への弁当宅配、学童保育施設の運営など、地域住民の生活との関連が深い事業を手がけている。地域住民を中心とする雇用者の数は、調査時点で240名超。商店街の振興会長でもある社長にお話を伺うと、商店が生き残るため、また地域社会のためにどうすべきかを考えた結果としての会社設立であったという。その後、バブル崩壊や2000年の大店法(大規模小売店舗法)の廃止などで商店街を取り巻く環境が激変する中、会社は順調に経営規模を維持拡大してきた。

 「特徴がないのがうちの商店街の特徴」と豪語する社長だが、街を守りたいという強い意志が社長をはじめ商店主の間で共有されている。近隣に大規模なデパートの出店話が持ち上がった際には、周辺でこぞって反対運動が起きた中で、この商店街はピンチをチャンスと捉えた。会社として全く取り組んだことがなかった大規模店の清掃事業を、元商店主の従業員が3年間他の清掃会社で修行したことで、最終的に受託したのである。その他にも小学校の給食事業や、商店街の空き店舗を活用した学童保育など、会社としてノウハウが全くないにもかかわらず、地域から請われたために取り組んだ事業が多いという。

 地域のために何かをしようと立ち上がる人々は、全国各地に確実にいる。これだけでも十分素晴らしいことだ。しかしながら、全国のみならず海外からも多くの視察者がこの商店街に訪れる中で、同様の取り組みが他の地域に広がらない理由は何なのか。それは地域住民の中に、個人の信用や財産、ひいては人生を賭けて地域を立て直すリスクを取れる人が非常に少ないためである。何も、住民全員が信用や財産や人生を賭けるべき、と言いたいわけではない。仕事や家族構成の違いをはじめ多様な住民がいる中で、誰もがそのようなリスクを取れる状況にないのは明らかだ。私が言いたいのは、数十人の商店主の中でただ一人、個人保証で銀行から資金を借り入れ、地域貢献を第一の目的とした会社を20年にわたり経営し黒字を出し続けるという並大抵ではないことを、この社長はやってのけているということである。

 社長が50年以上前から心がけてきた経営の理念がある。お客に尽くし、地域に尽くすことで、それが結果として自分に返ってくるという、近江商人の「三方良し」である。これまでは個々の商店主が自身の店舗を経営し、商品・サービスの提供という形で地域に貢献していたが、現在は雇用の創出という全く異なる形での地域貢献が行われている。社長に会社の将来展望を伺うと、「今後どうするかなど考えていない」。そして、「地域で必要とされることを実行するのみ」と言い切った。

 商店主に限らず、住民が地域で行動を起こす上で経営感覚は不可欠だ。活動の営利・非営利を問わず、赤字では活動が続くはずもないからである。そして(社長が重ねて指摘したことでもあるが)、何事も「出来る」と信じて行動に移すことが重要だ。大店舗がどうした、行政がどうしたという他者の話ではない。お金がない、時間がない、人がいないという、自分が行動できない言い訳を探すことでもない。自分たちの地域をより良くするために、住民がそれぞれの立場からできることを、自立的に実践すること。これにより、住民は地域づくりの第一歩を踏み出すことができるのである。

 今も昔も、「観光」を売りにする市町村は数知れない。ネットやテレビ等を通して全国各地から発信される情報量は膨大で、ご当地ネタがブームになっていることもあり、魅力ある全国各地の様子は多くの国民の目に触れる。国民への認知が広がれば多くの観光客が訪れて地元にお金を落とす上、口コミでさらなる観光客も呼び寄せる。

 しかし、観光地としての地域振興が、地域によいことばかりを生むわけではない。観光は地元住民の生活を劇的に変える。例えば、元々は地域密着型の飲食店が全国的に有名になると、観光客が殺到し大行列になる。この状況下で、多数の客を捌くのに慣れていない飲食店が、ひっきりなしに訪れる観光客に対して以前と同じ質の料理やサービスを維持することは容易ではない。また、長年にわたって店を気軽に利用していた地元住民は、観光客の行列の後ろに並んで何十分も待つだろうか?飲食店に限らずこのような店が地元に増えてしまえば、住民が商店(あるいは商店街)から離れていくことも容易に想像できる。

 こんな事例もある。昔は住居だった伝統的な家屋群の外観だけを残して、内部は全て土産物屋に改装した観光地がある。ここでは、代々引き継いできた家屋とは別の家に住む住民が、9時~5時で昔の家屋、現在の土産物屋に「通勤」している。家屋やそれが形づくる景観は、地元住民が生活の中で育んできたもののはずだ。しかし、建物の外観だけが化石のように原型をとどめている現在の状況で、果たしてそれが「伝統的家屋」と言えるのか。

 地域振興目的の観光地化が地元住民の生活様式や伝統文化、安全な暮らしの環境等を破壊している事例が多々ある。「地域振興」が経済面だけでなく、地域の場としての魅力を維持することも含まれるとするならば、その前提として、個々の住民の生き方や役割(仕事や社会貢献)、目的(学びや楽しみ)等に合った、当たり前の暮らしを送れる環境を維持しているどうかが重要ではないか。地域の外部から来る人々に目を向けるあまり、地域の内部に住む住民の日常生活を支えることがおろそかになるとすれば、地域振興も本末転倒であろう。

 先日、地域での安全確保に関するこのような新聞記事を目にした。

 遊具広場、囲って安心?孤立?…都立公園(読売新聞)

 不審者から子供を守るために、都立公園に柵を巡らせて、子連れの親子以外は立入禁止にするという。

 この件については【赤木智弘の眼光紙背】 に詳しく、子供を狙った犯罪が年々減少している事実を無視したかのような報道のあり方への批判と共に、親だから安全ということはない「不審者」を見極める難しさ、柵の設置が安心感より犯罪への不安感を助長する可能性などが指摘されている。

 さらに、「安全確保」はどこまでやれば万全といえるのか、公共の場から親子以外の一般市民を締め出すことは都の施策として公平なのか、治安の悪さ(つまりは社会の未成熟さ)のために公園を柵で囲う海外の取り組みを「先進」事例と呼ぶ学者や都の関係者の頭の中はどうなっているのか…、などの疑問が次から次へと湧いてくる。
 
 また、犯罪の抑止力への疑問もさることながら、一部住民の要望を疑いもなく実行してしまう都の側への疑問も生じる。無数にある住民の不安に対して、このような場当たり的な施策で一つ一つ対応していくことには限界があるし、その結果、都が住民のどんな要望にも応えるという一方的な依存関係をも生みかねない。

 では、地域住民が行政に依存せずに治安を維持するにはどのような方法があるのか。私は、犯罪の抑止力が高いのは物理的な柵などではなく、地域住民による挨拶や声かけ、目配りではないかと考えている。

 地域住民の間に、日常的に最低限の挨拶を交わす関係ができていれば、その地域に普段見掛けない不審者が現れたとき、自然と人々の目についてしまう。さらに、面と向かって挨拶などされようものなら、顔が割れた不審者の側もそう簡単には行動に移れない。自分が不審に思われていると自覚すれば、大半の不審者は犯罪を諦めざるを得ないだろう。

 良くも悪くも個が尊重される現代社会で、隣人との挨拶すら億劫で必要性も感じていないという人々も多いかもしれない。しかし、前段のような声かけ・目配りによって治安を守ろうという取り組みは、すでに全国各地の住宅地などで行われている。何も、昔のようなしがらみの強い人間関係を取り戻そうということではないのだ。住民一人一人が気づき、できるところから声かけをはじめ、少しずつ広がっていけばそれでよい。暮らしの場を維持するためには、住民個々ができることを、できる範囲で、自らの意思で実行する自立的な取り組みが重要なのである。