施しとはして上げるのではなく、させて頂く事 | カルラのたわごと

カルラのたわごと

~ちょこっとスピかな~

こんばんは、春希です。

 

ゲリラ豪雨やら、梅雨ぽくない天気ですね。

湿気多いし、それでマスクつけてだったら呼吸器

やられそう。

 

ブログの表題ですが、私がよく読んでいるブログ

を書かれている方が、動物保護やボランティア活動

をされている僧侶の方なのですが、その方が言って

た言葉です。

意味的には施しに見返りを求めてはいけないみた

いな意味だと思います。

それ以上に目には見えない得を頂いているからと

いう事かなと感じました。

 

私がそれに気づけたのは、母親が介護施設に入所して

日々の生活のストレスが軽減して楽になったのですが、

何かしっくりこない。日々の家事も、ほとんど私がしてい

て母親に頼んでいたのは、朝に干した洗濯物の取り入れ

と一緒に食事した後のあと片付けくらいだったのですが

逆に一人だと家事の量も減っているのに、母がしていた

家事をするのが億劫でずっと疲れている状態・・・・。

最初は、ただ単に介護から解放されて生活のリズムが

変わった為による体の不調かなあと思っていました。

 

それだけではない事に気づいたのは、自炊している時
で色々とメニュー考えて作って、そこそこいい物が出来
ても物理的というか味覚的には美味しいのですが、何

かたらんなあと感じてました。

ふと、気づいたのが「そーか。一緒に食べてくれる人が

おらんからかな。」と・・・・。

私はどちらかというと孤独には強い方ですし、ひとり飯

もガンガン行きますが、家で自炊だと外食で美味しいも

のを食べるというのとまた違うエネルギーみたいなもの

が働いて食事がおいしくなるのかなと感じました。

誰かに食事を作ってあげて、それを一緒に食べて口には

出さずとも感謝してもらうという事で目に見えないエネル

ギーをもらっているのかな。

承認欲求や、見返りをそこに求めちゃまた別の事になり

ますが、感謝されようがされまいが、相手が必要な事に

手を貸すという事で、自分自身が満たされるそんな感じ

の状態になっているかと思います。

 

母の介護は大変といえば大変でしたが、色々と気づき

もあり、人って年齢がいけばこんな感じになっていくの

なあとわかったり、親子ならではの対立や憎しみがわい

てきたり、過去のトラウマがでたりとかかなりキツイ事も

多かったですが大きな学びとなりました。

やばいなすぐに施設預けてぽんじゃ、たぶんわからな

かった事も多かったと思います。

 

今日も福祉課の人と話していたのですが、これから夏場

暑くなって徘徊して熱中症で倒れて緊急搬送されるお年

寄りが本当に多いそうです。中には、大怪我したり、その

まま亡くなったりとか。

少子化で子供は少ないのに高齢者がどんどん増えて、

一人っ子が両親の介護をしなければいけないとかかなり

増えてくると思います。二人とも認知症になってしまえば

家に在中して出来る仕事じゃなきゃ在宅介護はず無理

でしょうし、家にいても仕事中はデイサービスを頼まない

とまず仕事は無理です。

うちの母親は他害や叫んだりは無かったですが、それ

でも外に行こう行こうとしたりZOOMで講座をしていても

何回も扉あけて中に入ってこようとしたりとかで苦労し

たので。

 

これからは個々で抱え込むのじゃなくて、同じような境

遇の人同士の情報交換などもして自分の大変さを人に

話し共有することで他の人が共感してくれる事で心のも

ちようが変わってくるので救われると思います。

そうしないと、介護疲れで鬱になったり、大事な親や、奥

さん、旦那さんを殺してしまったりとかとてつもない悲劇を

食い止めなければいけないので。

 

施しからちょっと話がそれましたが。。。。(;´Д`)

 

はるき

 

P.S 気づきをくれたママンには感謝です。また、元の

生活に戻るのにはまっぴらごめんですが(@_@;)