「私はもう頑張れません。十分に頑張りました。」
12月30日の夜に息をひきとった祖母が残した言葉です。
2年前、ALS(筋萎縮性側索硬化症)だと診断された祖母。
ALS。現代医療では治せない難病でした。それでも自暴自棄になったりはせず、いつものように毅然としていた祖母。延命治療も断り、病気の進行に任せる……と言ったら語弊がありますが、最低限の治療での自宅介護を経て入院し、その難病でも受け入れてくれる施設に移り、そこでの数ヶ月の闘病ののち、親族らに見守られる中、眠るように逝ったと聞いています。
12月に入り、医者からは年内もつかどうかと診断され、まぁ、前々から病気の内容も踏まえて覚悟などはゆっくりとできていたと思いますが、24日のクリスマスイブ。仕事から帰った僕は、祖母が危篤だと聞かされていよいよかと、最期の覚悟を決めました。
そこから年の瀬の30日まで、僕は祖母のもとに駆けつけること無く、いつものように仕事をして過ごしていました。それは、最後に会った時に祖母から以下のように言われたからです。
「このご時世、仕事があるだけでもありがたいことですよ。働かせていただけていることに感謝しなさい。」
筋肉が衰え、身体を動かすことも辛いはずなのに、ちゃんと上体を起こし、呼吸を整えるかのようにひと言ひと言話してくれている様は胸を打ちました。
その祖母が、危篤と伝えられてから30日まで生きながらえてくれたことは、「(ろい)けんちゃん、私のことはいいから、お仕事頑張ってらっしゃい。」と言ってくれているのと同義だと考えて年の瀬の混雑を乗り切ってきました。そして、「婆ちゃんも頑張ってるし、このまま年始も乗り切ろう。」と、帰宅中に再度気合を入れ直したその30日に祖母は逝きました。
その後も、年末年始で帰れない日があったり、忙し過ぎて半分眠りながら泊り込みで仕事したりしながら過ごすこと約1週間。諸々の都合で1月6日に通夜、7日が告別式と決まり、仕事を優先させて頂いて告別式だけ参列。祖母との再会は棺に入った状態でとなりましたが、生前同様に祖母は可愛くも凛とした様相で、ただ眠っているような姿でありました。
今にも起きだしそうで、いつも会う度に言っていた「あらけんちゃん、大きくなったわねぇ。立派になって。」という優しい声をかけてくれそうな、ね。
立派でもないし、小っぽけな僕ですが、それでもなんとかこの年末年始を乗り切れたのは、ひとえにこの祖母のおかげであったと言えます。感謝してもしきれません。
ですがその気持ちを伝えることはもうかなわず、あとは態度や行動で示すしかないのだと理解しています。
「私はもう頑張れません。十分に頑張りました。」
祖母は本当に頑張ったと思います。
そう言えるだけの人生を歩んできたと思います。
でも、僕はこれからです。今です。
「僕はまだ頑張れます。もっともっと頑張ります。」
歩みは遅くとも、前へ前へ。
いつか、「十分に頑張りました。」と、胸張って言えるまで。
冒頭の写真は、祖母が家の鍵に付けていたキーホルダーのパーツと、そのもとになった僕の写真です。写真は元からいただいていたものですが、キーホルダーは形見として頂戴しました。
無くさないよう大切にしたいなと思います。
最後になりますが、長文駄文お付き合いありがとうございました。
また、遅くなりましたが、本年もどうぞ宜しくお願い致します。
よーし、頑張るぞー!!


