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くにちゃん日記

ブログ名変えました。

究極の愛そのものである、くにちゃんが、愛そのものを思い出し生きる日記にしていきたいです。

昨日の続きで色々気づきがあります。

結婚生活の中で僕は妻と息子にはできる限りの事をしてきた。

う〜ん、してきたつもりだった。

1日24時間の中で彼女達の思いを優先し、自分の時間を割いてきた。

これは昨日の自由にもつながる事でもある。

そして過保護なまでの行動もとってきた。

まぁ、それを取るくらい見た目の状況は酷かったし、その時は選択の余地もなかった事もある。

逆に僕の事はと言えば、ほぼ何かあったわけではなく、働いて夜遅く帰ってもご飯なかったり、逆に家事も僕がしてたわけで。

インフルエンザにかかった時も、妻はいかなくても良いお茶会にいってしまい。
40度近い熱で1人で歩いて少し離れた病院までいき、コンビニで食料を買って帰って寝込んでたりした。

家族ってなんなんだろう?って少し悲しくなった事を覚えている。

妻と話してる時、「わたし思いやりわからんから」と言われて
「自分が困った時、そうじゃない時でも、嬉しかった事を相手にしてみたら?例えば病気の時の看病とか、大雨の中で車で迎えに行くとか、傘をもっていくとか?」

と一例を伝えても、自分にはそんな気持ちわかないと言われて、何も言えなくなってしまった。

求めるけど与えるはできないって。

う〜ん、そりゃそういう人もいるのは知ってるけど・・

そんな思いを闇の部分にしまい、自分は好きでやってる事だからと割り切ってた。

けれど、闇の部分にしまってるから妻に、良からぬ波動が流れていく。

それは「なんで家にいるだけなのに何もしてないんだ?」って思いだと思う。

そんな波動が行けば妻は当然嫌な思いが出てくるだろう、やってもらってる事もお節介だ、迷惑だと発言する事があった。

で、もしそのお節介がなかったら、どうなってた?って聞いたら、生きてなかったと軽く言ってた。

なんじゃそれ?と思ったが、発言の原因を作ったのは僕の波動なので、妻は無意識に気づかせてくれてるのだ。

結局のところ、僕は家族になったんだから、自分の為に何かをして欲しい。もっと深くいえば大事にして欲しい。

そういうのがあったんだね。

それが自分の存在価値、存在意義を生み出すと思ってたんだろう。

それが無いから、一体僕はなんなのだ。となってたのだろう。

これを家庭ではなく社会に求める人もいるだろうし、両方求める人もいる。

でも、本当の所は自分が自分を大切にしてないんだ。

もし誰かとの関係性でして欲しい事があればちゃんと伝えれば良いし、もし伝わらなくても意思表示をするのが大事なんだ。

そして、本当は誰かに何かをしてもらわなくても、愛されてると感じなくても自分には存在価値があるのだ。

外からの要因で自分に存在価値や意義ができるわけじゃないのだ。

そんなものなくても自分は元々価値があるのだから。

それを認めてないのは自分なだけなんだ。

そして愛されてないわけはないのだ。

自分がいまここに存在するのは愛されてるからなんだ。

これは理屈じゃない。感じる事だ。

結局、自分が自分を全然大切にしてなかった。

昨日自分達の事は放っておいて自由にといった妻は、お茶会に行くと言って出掛けてしまった。

あ、あれ?言ってる事とやってる事が違う?

いや、彼女は通常モードに戻っただけだ。

昨日の事もやっぱり僕が僕に言ったんだ。

洗濯物どうする?放っておくか。

あ、いや明日のヒロトの幼稚園の服もあるからしとこう。

いまだに変わりきれてない僕はダメなのか。

いや違うんだ。いまヒロトを愛してるからしたいんだ。

さっさと終わらせてしまおう"(⌯︎¤̴̶̷̀ω¤̴̶̷́)✧︎
相手が言う事は自分が言わせている。

もっと厳密に言えば自分が相手を通して言っている。

え?本当にって思います?

ではそうだとどうでしょう?

特に厳しい事や、むちゃくちゃな事を言う人。

言うだけでなく行動も酷いと思う事をする人。

きっとこう思ったり、言ったりしてません?

「考えられんわ。あんな事ようせんわ。自分やったら嫌になるわ」

では、それがあなたの為だったら?

考え方が変わるでしょ?

な、なんて良い人なんだぁ(笑)って。

もちろん相手の方の表面意識は分かってやってる事は殆んどありません。

そうなると余計に凄い良い人に感じません?

自分なら絶対嫌な事を無意識にこちらの為に協力してくれる方。
その言動は相手にとっても身体にあまり良くない影響でたりするんですよ。

もう感謝しかなくなっちゃうよね。

一瞬イラっとしてもすぐその視点を思い出せば感謝に変わっちゃう。

ハートで高い愛に変換して、「気付けましたありがとう」とエネルギーを返せば、高い愛のエネルギー循環になります。

学びに協力してくれる方は素晴らしい愛の人なんですね(^_^)
思えば結婚してから自由というものがなかった。

妻の都合で姫路から西宮、そして大阪に住むところも変わり、職場も変わり無理がたたって大怪我もし、体調も崩した。

片や妻の方は自由奔放、週に2.3回はお茶会なるもの、打ち合わせと題した会合、高額なセミナーに参加し、家にいる事が少なかった。

もちろん家事は放ったらかしになるため溜めておくわけにもいかず、仕事終わってからまた、休みの日に一気に僕がする事が多かった。

僕の貯蓄、稼ぎは生活費にあてられ、妻の稼ぎはほぼ彼女が使ってしまうようになり、たちまち家計は苦しくなっていった。

話し合いをしても、秘密にされる事が多く、いったい何にそんなにお金を使ってるのか?
わからなかった。

やがて違うものにも手を出し、家計を圧迫するようになる。

僕達には子供がいるので、放ったらかしには出来ず、当然ながら休みの日には僕が1日面倒を見る事になり、僕が無理な平日などは妻の実家にお世話になった。

自由奔放にする妻はあちこち手を出しては止めを繰り返し、収入が少なくなってからも、お金を使い続け、その度毎に話をするけど、改善はされずその結果僕の家事に占める割合が増え、家計も苦しくなっていった。

今日話をしていて、妻が、僕とにズレがあると言い出し、「自分と息子の事考えずに自由にしてみたら?」と言われ。

どの口がそんな事を言うのか?と一瞬絶句してしまった。
自由にしようとしても出来ないようにしてた張本人に言われたのだ。

僕は本当に悲しくなった。

一瞬悲しくなった。

けれどふと感じてしまった。

これ、僕が僕に言ってるんだ。

彼女を通して、やりたい事をやれと言ってるのだ。

僕が自由に動き出すと家の中はどうなるかわからない。
 けれどそういう事なんだ。

今までの出来事も、僕も自由にやりなよって事だったのだ。

先の事は考えずにやれば良いのだ。

みんなが良くなる方向ならやりたい事をやれば良いのだ。

気を使いすぎなくて良いのだ。

僕の想いの使い方が間違ってただけなのだ。

本当はただ自分がやらなかっただけなのだ

ただ、そういう事なのだ。