昨日の続きで色々気づきがあります。
結婚生活の中で僕は妻と息子にはできる限りの事をしてきた。
う〜ん、してきたつもりだった。
1日24時間の中で彼女達の思いを優先し、自分の時間を割いてきた。
これは昨日の自由にもつながる事でもある。
そして過保護なまでの行動もとってきた。
まぁ、それを取るくらい見た目の状況は酷かったし、その時は選択の余地もなかった事もある。
逆に僕の事はと言えば、ほぼ何かあったわけではなく、働いて夜遅く帰ってもご飯なかったり、逆に家事も僕がしてたわけで。
インフルエンザにかかった時も、妻はいかなくても良いお茶会にいってしまい。
40度近い熱で1人で歩いて少し離れた病院までいき、コンビニで食料を買って帰って寝込んでたりした。
家族ってなんなんだろう?って少し悲しくなった事を覚えている。
妻と話してる時、「わたし思いやりわからんから」と言われて
「自分が困った時、そうじゃない時でも、嬉しかった事を相手にしてみたら?例えば病気の時の看病とか、大雨の中で車で迎えに行くとか、傘をもっていくとか?」
と一例を伝えても、自分にはそんな気持ちわかないと言われて、何も言えなくなってしまった。
求めるけど与えるはできないって。
う〜ん、そりゃそういう人もいるのは知ってるけど・・
そんな思いを闇の部分にしまい、自分は好きでやってる事だからと割り切ってた。
けれど、闇の部分にしまってるから妻に、良からぬ波動が流れていく。
それは「なんで家にいるだけなのに何もしてないんだ?」って思いだと思う。
そんな波動が行けば妻は当然嫌な思いが出てくるだろう、やってもらってる事もお節介だ、迷惑だと発言する事があった。
で、もしそのお節介がなかったら、どうなってた?って聞いたら、生きてなかったと軽く言ってた。
なんじゃそれ?と思ったが、発言の原因を作ったのは僕の波動なので、妻は無意識に気づかせてくれてるのだ。
結局のところ、僕は家族になったんだから、自分の為に何かをして欲しい。もっと深くいえば大事にして欲しい。
そういうのがあったんだね。
それが自分の存在価値、存在意義を生み出すと思ってたんだろう。
それが無いから、一体僕はなんなのだ。となってたのだろう。
これを家庭ではなく社会に求める人もいるだろうし、両方求める人もいる。
でも、本当の所は自分が自分を大切にしてないんだ。
もし誰かとの関係性でして欲しい事があればちゃんと伝えれば良いし、もし伝わらなくても意思表示をするのが大事なんだ。
そして、本当は誰かに何かをしてもらわなくても、愛されてると感じなくても自分には存在価値があるのだ。
外からの要因で自分に存在価値や意義ができるわけじゃないのだ。
そんなものなくても自分は元々価値があるのだから。
それを認めてないのは自分なだけなんだ。
そして愛されてないわけはないのだ。
自分がいまここに存在するのは愛されてるからなんだ。
これは理屈じゃない。感じる事だ。
結局、自分が自分を全然大切にしてなかった。
昨日自分達の事は放っておいて自由にといった妻は、お茶会に行くと言って出掛けてしまった。
あ、あれ?言ってる事とやってる事が違う?
いや、彼女は通常モードに戻っただけだ。
昨日の事もやっぱり僕が僕に言ったんだ。
洗濯物どうする?放っておくか。
あ、いや明日のヒロトの幼稚園の服もあるからしとこう。
いまだに変わりきれてない僕はダメなのか。
いや違うんだ。いまヒロトを愛してるからしたいんだ。
さっさと終わらせてしまおう"(⌯︎¤̴̶̷̀ω¤̴̶̷́)✧︎