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ポールスターリーディング lesson8
Mattie Stepanek -Listen to Your “Heartsong”-


Introduction
マティ・ステパネク、1990年7月17日、メリーランドのアッパー・マールボロ生まれ。父のグレッグは整備監督。母のジェニはメリーランド大学の博士課程の学生。マティ・ステパネクは世界で最も若い詩人の一人と呼ばれる。


ジェニ・ステパネクとグレッグ・ステパネクはマティが生まれるまでに多くのことを経験した。第1子のケイティは2歳になる前に亡くなった。第2子のスティービーは手術を4回受けて生後半年で亡くなった。第3子のジャミーは生後数ヶ月、生命維持装置をつけて過ごしていたが、このときジェニは自分が第4子を授かっていることを知った。
「彼は4人の中で1番体が弱かった。」ジェニは思い出す。彼は兄や姉と同じ生命に関わる問題で苦しんだが、マティは何とか幼児期を生き延びた。彼が2歳になる頃、医師はやっと彼のどこが悪いのか知った。彼は珍しい種類の筋ジストロフィーを患っていた。

ジェニはマティがまだ赤ん坊のときに、彼に詩を読んで聞かせ始めた。ペンを持てるようになるずっと前から、彼は自分の詩を作った。彼は3歳のときに初めての詩を母に書き取らせた。「お母さん、書いて、お願い。」彼はそう言ったものだった。彼女が彼にこうした考えはどこから来るのか聞くと、彼は説明した。「天国にいる神様、ケイティ、スティービー、ジャミーが僕の胸にアイデアを入れる。アイデアは頭に、そして口に上がってくる。僕はそれを外に出すだけ。」4歳のときまでにマティは自分の言葉を書き留めていて、8歳のとき彼は詩をタイプし、見つけた詩をすべて読んでいた。
マティは小学校に通っていたが、彼が最初からクラスメートよりずっと先んじていたことは明らかだった。彼が1年生のときの先生は、クラスメートのほとんどがcatやdogのスペルを習っているとき、マティがebullientのような言葉を使っていたのを覚えている。11歳までには、彼は高校レベルのことを学んでいて、コミュニティ・カレッジの講座さえ取っていた。

2001年春、マティの健康に危機があり、数ヶ月入院した。彼は長いあいだ昏睡し、医師は彼が昏睡から抜け出すかどうかはっきりとは分からなかった。けれども結局彼は目を覚ました。天国から放り出されると動揺するよ。天国はとても素敵な場所で一度そこに行ったら離れたくなくなるから。」彼は後に母に話した。
病院の広報部の女性が、もし回復して3つ願いがかなうとしたら何がいいか彼に聞いた。元大統領のジミー・カーターと世界平和について話したい、自分の詩が出版されるのが見たい、テレビで世界に平和を訴えたい、彼はそう言った。ジミー・カーターは病室にいるマティに電話をかけ、どうしたら平和がかなえられるかについて15分話した。その後、病院の誰かが児童図書の小さな出版社であるVSPに連絡を取った。出版社の代表者は彼の詩を読み、マティが「かわいらしい詩を書く幼い子供ではない。私たちが読んでいるものが信じられなかった」ことにすぐ気付いた。
マティの詩の1つはこのようなものである。

心の奥に歌があって

僕だけ聞くことができる

目を閉じてじっとしていれば

この歌をきくのは簡単だ

・・・

心のなかに人はみな

特別な歌を持っている

世界の誰もが特別な

心の歌を持っている

魔法のような音のする

心の存在を信じれば

自分の幸せを信じれば

ほら、君にも聞こえる君の歌

一刻の猶予もないと知り、VSPはマティの本、『Heartsongs』と呼ばれるペーパーバックを出版した。記者会見とテレビのインタビューのあと、注文が殺到し始めた。Heartsongというのは彼がほんの4歳のときに創作した言葉である。「シー!」彼は小さいとき母に言った。「聞いて!僕のハートソングだよ!」後に彼は記者に説明していた。「皆さんのハートソングは皆さんの内面の美しさ。これがあれば皆さんはいい人になれますし、他の皆さんもいい人になれます。」

それからVSPはマティの2冊目の『Journey through Heartsongs』を出版したが、それは3万部以上売れた。新刊は、筋ジストロフィーと共に生きるということがどのようなものなのかをつづった『Future Echo』という詩を含む、新しい詩を載せていた。

ブランコをこぐと

どこにでも行ける

でもやはり

どこにも行けない

まだ発せられることはない、

だから返ってくることもない、

そんなこだまの中にいる

過去と未来を揺れ動いても

僕はやはり今ここにいる

これは明らかに典型的な子供の詩ではないし、マティが病気や死をよく知っていること、それに彼独自の生命観を映し出している。たいていの若い作家と違って、自分の人生を今どうするかということが、彼の死後の起こることや彼の記憶のされ方に影響するだろうということを彼は理解している。おそらくこういう訳で、彼の詩は子供より大人の心に率直に訴えかけるのである。
2002年の1月までに、『Heartsongs』はペパーバック部門の第3位、『Journey through Heartsongs』は『Harry Potter』さえ抜いて第1位となった。出版されたマティの2冊の本は今のところ50万部以上に上る。これにより彼の最後の願いがかなった。彼はテレビのオプラ・ウィンフリー・ショーに出演したのであるが、そこで視聴者は彼にスタンディング・オベーションを送った。

マティの詩はアメリカの9.11テロ攻撃のすぐ後に続いて特に期に適っているように思える。「ニューヨークで起こったような悪いこと、家族や親友を失うような悲しいこと、これらはライフ・ストームなのです。」彼は説明する。「ライフ・ストームが通過したあと、ただ嘆き悲しむのではなく、また次のライフ・ストームが来て吹き飛ばされるのを待つのではなく、一緒になって1つ目のライフ・ストームを切り抜けたことを祝うべきです。」彼は付け加える。「暗澹たる今を生きているなら、本当に生きているとは言えない。」これはマティが彼自身のライフ・ストームを切り抜けるために用いた哲学である。
マティは2004年6月22日、病気の合併症のため亡くなった。彼は13歳で母のジェニより先に亡くなった。彼はもちろん詩によって記憶されるだろうが、また彼が感動させた人みんなを鼓舞した不屈の精神によっても記憶されるだろう。マティ・ステパネクは私たちに自分のハートソングに耳を傾けることを教えてくれた。/



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