私はかつて夜の半を海に向って自己の醜悪を嘆いた。あるときは小室に閉じ籠って終日を自己の心の分析に費した。しかしながら私の生活はそれらにかかわらずしてメフィストフェレスによって導かれることをやめなかった。私の健康な肉体は一方では私を悩しく醜い活動にまで追いやるとともに、他方では私の純粋な魂がなそうとする活動を妨げようとする。私の太い血管を勢いよく循る血の快さが、私の清く正しき心に気持のよい寝床を与えている。
私は傲慢な態度をもって他の人々を蔑みつついった、「君たちは虚栄心に支配されている。金銭や名誉が何になるのだ。本当に自分自身に還って生きない生活は虚偽の生活に過ぎない。」なるほど、私のいうことは言葉どおりには正当である。けれども私の言葉にはそれを生かす魂の純粋が欠けていた。「たといわれ諸の人の言葉および天使の言葉を語るとも、もし愛なくば鳴銅や響くのごとし」といわれたように、それがいかに正しく、よく、美しき言葉であり忠告であったにしても、もしそれが謙虚な心と愛とから出たのでなかっ たならば、結局無意味なことであるに相違ない。
