いつも、仲良くして下さる皆様
長い間、ご無沙汰をして、ご心配おかけ致しまして

沢山の、励ましや、温かいお言葉に、日々心が救われ、
やっと、気持ちも落ち着き、又、ブログへ戻って来れました

支えて頂き、本当に、心から有難うございました

ぺタや、コメントのお返しも返せない私を、
いつも、優しく見守って下さる皆さんを、思うと
私は、何て幸せなのかしら・・・と、悪戯や中傷は、一時期の苦しみでしたが、
皆さんとの繋がりは、そんな苦しみの何倍もの
喜びで、幸せな事なのだと、思うと、心が軽くなりました

今回は、少し子供の頃のお話をさせて頂きますね。

実は私は、父がフランスと日本のハーフなんです

中学までは、日本とフランスを行ったり来たりの子供時代でした。
小学校1年生の時、帰国した際、まだ昭和49年~50年代
今と違い、帰国子女は、珍しく、偏見の目で見られる時代でもありました

その時、私は、先生自ら、今で言う、悲しくて辛い、虐めにあっていました

帰国してすぐの学校行事の音楽会で、私だけ制服ではなく、体操服でとの、先生からの連絡事項でした。
もちろん、クラスメートは、制服での参加・・。一人違う自分が本当に悲しかった


当時40歳ちょっとの女性の先生でしたが、理由もなく廊下に立たせたり、フランスにいても、
日本語やかな読み、算数を、習っていたのですが、私には、宿題のプリントやドリル等、
「どうせ、貴方はできないでしょ・・・」と
父兄通信等も、配って貰えない事が殆どでした。

幼い私には、日本に慣れず、自分の受けてる状況さえも、これが、普通なのだと、
理解出来ずにいたのです。
もちろん、父母は、気がつきませんでした。

それでも休まず学校へ通いました…。
いつか先生に、私も皆と同じ…と
伝えたかったんです。
分かって貰いたくて…。

優しい父母にも打ち明けられないままに、毎晩の食卓では、
一日の出来事を、楽しく話しを飾り、父母を悲しませてはいけない…と、
ただただそれだけはと…一生懸命な子供心でした。

そんな時、急遽、若い先生に担任が代わりました。
ある日、毎日の様に、お家に遊びに来る、みーぼう(お友達)が、
みーぼうのお母さんに、先生が私にしている事を話してくれ、
学校で問題になったそうなのです。

後から、この事を、初めて聞いたのは中学の頃でした。
それでも、幼心に、当時のある日、
母が泣きながらお家に帰宅したのを子供ながらに覚えています。

亡き母にも辛い思いをさせたのだと・・・親不幸だったのでは・・と今でも胸が苦しくなります。
中学からはお友達に囲まれ楽しい学生時代でしたが、母はいつも心配だったのではと…今でも考えさせられます
若くて綺麗な、佐伯先生

とっても、私に優しくて、ゴッホが大好きな先生でした。
佐伯先生がフランスへ帰る私に下さった今も大切に持っているお手紙の言葉
「休み時間になると、みーこちゃんの周りには、いつもお友達と笑い声が一杯・・。貴方の笑顔が
皆を幸せにするのだから、どんなに辛い事があっても、いつもニコニコ笑っていてね。
笑顔があれば、皆に幸せを分けてあげれるから・・。髪の色が茶色くても目の色が違っても、
真っ白くて綺麗なお肌も先生は大好きです。
いつか、世界中の皆が仲良くお友達になれる時が、必ずやって来ます。
泣いてるお友達がいたら、笑顔で話しかけてあげてね。
先生は、みーこちゃんの可愛い笑顔が大好きです。
そのままで、優しい笑顔の素敵な大人になってくださいね。」
私は、この頃から、いいえ、きっと前の先生で経験した頃から
余計に痛感した佐伯先生の優しさに触れ、
大きくなったら、先生になりたい・・。と、当時、強く心に決めたのでした

。
あんなに怖~い先生には、絶対になりたくない・・・。

佐伯先生の様に、誰にでも皆に優しい先生になりたい・・・と

そして、皆さんからの、温かいお気持ちや言葉は、
私を助けてくれた、同級生のみーぼうの優しさに重なり、懐かしくて、有り難くて

温かくて、大きくて、精神的にも立ち直れずにいた、
私の心の支えになりました

皆さん、これからも、沢山の、ご迷惑やご心配をお掛けすると思いますが
どうか仲良くさせて下さいね

宜しくお願い致します。
心から有難うございます


もしも、子供が産めなくても、可愛いちびっこに毎日触れられる様にと、
先生になる為に、私は生まれてきたのかも・・・ですね

そして、可愛いちびっこ達が少しでも、笑顔になれる、笑っていられる


そんな、先生に慣れる様に、頑張りたいと思っています。
6月28日結婚記念日でした。1年あっという間でした


優しくて大好きな、けんちゃんと

皆さんにも笑顔が沢山訪れます様に願っています


(*^ー^)ノヽ('-^*)ノ
