今年は丙午、午年らしいですね。私的には、暦や干支に興味なく、人間が環境などを鑑みて創っておられると考えます。


されど、天啓神伝の太乙北極真経も、干支によって表記されております。

かなり昔、深見東州さんから、大道の碩学、泰斗と言われた、根本宏(誠乾)老師から、「君の干支は何どしかな」と聞かれ「ねずみ年です。」と答えると「それは、老祖様の年だよ。」と言われた記憶がありますが、何故、老祖の年なのか、意味不明でありましたが。

太乙北極真経は十二巻であり、一巻一巻が干支で示されおります。その十二巻の中の午の巻のみが、午集正経として、神様から降ろされております。


ちなみに 北極真経第七巻は、十二の神図が表されておりますが、多くの説明はされておられません。


後、魔障が吹き荒れる最中、フーチの壇は停止していたが、当時の老祖の弟子の堅誠なる坐と心により、魔を排斥し、十二の神図による神々の創世記を人々に悟らせる為に、午集正経が降ろされました。


実に北極真経十二巻とは、ダイジェント版にして、本来は、午集正経と同様に、他の干支の十一巻の正経も神伝により、降ろされる予定はあったが、人間側に受け入れられる器量が乏しかった故に、降ろされなかった事を、炁楽仙女さんから聞いた記憶があるような、無いような気がします。間違っていたら、ごめんなさい。


そして、霊界物語も干支で巻数が書かれておられます。


そこで、丙午とは六十年に一度とのこのですので、霊界物語六十七巻に書かれている事を今回は述べたいと考えます。

当然に霊界物語とは神界と現界そして。過去未来現在にして、苦集滅道、道法礼節を表しており、大なるものは小となり、小なるものは大ともなる不思議な物語なり。


霊界物語六十七巻、第二篇春湖波紋 第六章浮島の怪猫(1708)では、海ほど広がる湖水に、夜光の岩島があり、昔は岩の頂辺(てっぺん)が日月の如き輝き、月の無い夜でも、灯明台として尊重されていた。盤古不動の霊山とされてきました。


されど、年月が流れ、世の中が曇ったせいか、年と共に光が薄らぎ、今ではまったく光らなくなってしまった。

そして、湖水の中心に聳(そび)えていたのが、いつの間にか、その中心から、東へ移ってしまい、万古不動の岩山も浮島のように、ちくちく、中心から、西風が激しく、東へと寄ってしまった。


日月星辰はいずれも皆、西へ西へと移って行くのに、岩山に限って東へ移るとは、天地の道理に反していると。


そして、その岩山には、ちっぽけな樹木が岩の空隙に僅かに、命脈を保っている。


山高き故に、尊とからず、樹木あるを貴しとする。


ガラクタ岩で固められて、肝心の樹木なくては、山としての価値なく、昔のように、闇夜を照らし、往来の船を守り、安全に彼岸へと達する働きあれは、結構ですが、今は無用の長物ですと。


山の頂に仁王の如く直立している大岩石をアケハルの岩と称え、国の守り神と尊敬されていた。


それが、今日となっては、少しも光がなく、おまけに、その岩に大きな、縦ヒビが入り、いつ破壊するか分からないようになり、今は、大黒岩と人が呼んでいる。大黒主(鬼雲別)の天下も余り長く続かない。


その岩山には、妙な怪物が沢山生息しており、その動物は水掻きあり、水上を自由自在に遊泳したり、山を駆け上る速さは風船が飛翔したようなものだ。


昔は、日の神、月の神二柱が、天上より、御降臨になり、八百万神を集いて、日月の光明を放ち、印度の国一体を照臨し、妖邪の気を祓い、天下万民を安息せしめ、神様の御神体として、国人は尊敬していたが、おいおいと世は澆季末法となり、何時しか、その光明を失い、今や、まったく虎とも狼とも金毛九尾とも大蛇とも形容し難い、怪獣が棲息所となっている。


その岩山島に、人間が一歩でも踏み入れば、たちまち、凶悪なる、怪獣の爪牙にかかって、血は吸われ、肉は喰われ、骨は焼かれて、亡びることを恐れて誰も近寄らない。


もしも、船があの岩島にブツかろうものなれば、それこそ寂滅為楽、再び、生きて還ることは出来ない。


その岩島はひそひそと悪霊島と呼ばれる。


岩山は時々、大鳴動を起こし、噴煙と毒ガスを吐き、その煙に襲われた者は、禿頭病となり、眼病を煩い、耳は聞こえなくなり、舌は動かなくなり、肚はすき、喉が渇き、魔風に当たった者は災難であると。


その岩山から、牛のような虎猫が、夫婦連れにて逃げ出した。


すなわち、岩山の頂上の夫婦岩が、大きな虎となり、西の方へ逃げてしまった。


それから、岩山は湖に沈んだ。


宣伝使は、この原因を「妖邪の気、国の上下にみち溢れ、仁義と道徳と言う美風は地に払い、悪の虚偽との悪風吹き荒び、世は益々に、暗黒の淵に沈倫し、聖者は

野に隠れ、愚者は高きに登って国政をわたくしし、善は虐げられ、悪は栄える無道の社会ですから。天地もこれに感応して、いろいろの不思議が勃発するのでしょう。


さて、この岩島とは、霊界物語六十七巻にて、船中のよもば、話しとして出てきました。

岩島から、猫が出てきて、あれは、なんだと噂話しの最中に、岩島が沈んだ話しです。霊界物語とは、時空、地域、大小を超越している物語です。


この岩島とは、日本なのか。イスラエルなのか。中国なのか。台湾なのか。はてまた、人の心なのか。


さて、ベネズエラの大統領が米国により、誘拐、捕獲され、民主主義が危ういとか、国連に違反しているとか。覇権主義であるとか、云々あり。


されど、ベネズエラの多くの民草は拍手喝采とか。


国連とは歴史始まりし、時より、会話をして、国家の争いを忌避した事は皆無。


なんせ、常任理事国とは、悪魔の国だから。


ああ。そういえば、悪魔くんのアニメが新たに始まりましたね。


法の支配の前に、功徳なる、明徳あり。


そして、揺るぎ無い事柄は、因果律。


トランプさん、プーチンさん、ネタニヤフさん、ゼレンスキーさん、習近平さん、ジョンウンさんの行いが、悪因果、善因果として降るのみ。


当然に、社稷を極めた、君主は、天国へと登りますよ。


逆に、人をあやめた君主は、その壮絶で凄惨な因果を背負う。

生きたまま、地獄に堕ち居るのか、死んだ後に、無限の苦しみを承け入れるのか。ああ、かんながたまちはへませ。


さて、さて、ゆきすきの国の井戸理恵子さんは、冬至にて、今年の易を示された、卦は、「澤水困」です。


おそらく、井戸さんは、国家の全容を易に占したと結果の卦がこれなのでしょう。


まあ、吉 悪しでいえば、悪いのですが。


しかし、困難とは、切磋琢磨なり。


艱難汝を、玉にする。


即ち、辛い修行を逃げずに、受け入れれば、享る。


口先だけで、その困難を乗り越えようとすれば、咎となるが、誠をもって、それを乗り越えれば、幸せとなる。


井戸理恵子さんは、易にて、ワースト四位に入ると仰っておられましたが、私的には、本当に国家の為に善い卦が出て来られたと、感謝する次第でございます。


霊界の 神の物語 「天祥地瑞」では、神の国生み、国魂生みでは、困難をもって道とされておられます。


そして、易とは、天理となり、また、神の摂理、大理にして、人の思考の善悪や良し悪しとは、含まれておりません。


私的に、思うのは、今年は、悪く言われて良くなる仕組み。


今、日本は対、中国には、しっぽをふって居ません。


国家の対話とは、即ち、利己主義による応戦。


そして、赤化の刧業が燃え盛る、中国とは悪の枢軸なのか。


否。


アジアとは、始めて、その大地に至聖先天老祖が臨まれた地。


赤化も燃え尽きれば、灰となり、実る宝は、黒炭となる。


真っ黒な黒とは、玄天にして、深き闇。そこに、太陽が差せば、人はその光により、甦る。


日本と中国が固い信頼により、手を取り合えば、米の国からの支配を脱却出来る哉。


人知らず 台湾とは 宝島 和を貴しと する神国なり。


中華とは 昔も今も 無駄遣い それによりてぞ 貧富が生まらる。


アジア主義 神の尊き 中庸の 誠の道を 歩みてしがな。


主神とは 愛に生きて 愛に死す それだけにより 親しき神ぞ。


主の神の 名を尋ねても 無きにして 貴方も私も 主なる玉持つ。


ああ、かんながたまちはへませ。


私的に、さまざまな情報収集があるネット社会ですが、損得なる私欲を抑えれば、神の仕組みは、自ずと悟らん。ですよ。。。


かんながら たまちはへます 御心は 損得抜きに 神を愛する。