アニメのアフレコ…
洋画の吹き替え…
舞台…
どれとも違う
台本の活字を口から出した瞬間、ぶわっとイメージで空間を支配する
観客の脳内に映像を見せる
演者が目の前に居て、
その演者から発せられる言葉がリアルであってほしい…
けれど ≪本≫ を手にしている。
演者の中で矛盾が生じる。
アニメのアフレコ
洋画の吹き替えは、それでいい。
台本を持ちながら演じていても
演者(声優)の姿は見えない。
映像からの情報量でだいたいが説明がつく。
舞台はセリフを頭に入れて台本を手放す。
舞台上が物語を写す大きな一枚のスクリーンになる。
朗読劇は、本を持ちながら、それすらも魅せながら演じる、という‘‘制約’’が課せられる。
観客は、演者の言葉と表情と動きで、人物の心情を読み取ろうとするのに
目の前の演者は最初から最後まで ≪本≫を片手に、その場から動かず、たんたんと喋り続ける。
滑稽な絵面だな、とも思う。
本を片手にその場から動かない演者を見続ける約1時間半。
演者はいつも以上のエネルギーとイメージを持って物語の世界に入らないと、観客の頭に映像を映せない。ハートを掴み続けていられない。
だからこそ、私は朗読劇を楽しいと思える。
最も難しい、と感じる。
セリフを喋ればいいってものじゃないから。
魅了し続けなければならないものだから。
ロウドキエの第1回公演「ヒプナゴギア」
【医者】【ピアニスト】【夢の中の女】
3人の登場人物が織り成す、紡ぐ、語る物語には、印象的な言葉の数々があります。
「カーテンコール」
「花」
「拳銃」
散りばめられたパズルのピースがハマっていく瞬間をどうぞお楽しみに。
何が生まれるのか、何を感じるのか…
私も楽しみです(*^^*)