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とある姉妹の溶接マスク

久しぶりに更新してみようかと思います。 軽めのものを。
この前の金環日食は、テレビ、ネットでかなり盛り上がってましたよね。 私は残念ながら観ることはできず、Twitterで私がフォローさせていただいている方がupされた写真で観ました。 会社の休憩室で。
で、金環日食の後、ある写真がネットを駆け巡りました。
その写真がこちら。


とある姉妹の溶接マスク 

激萌え!!



おなじ服を着ているのでおそらく姉妹かと思われるのですが、溶接の時などに使う保護面(溶接マスク)を使っているんですね。
この写真が“かわいい”と評判になって、日本を飛び出て海外でも評判を呼んでいるそうです。

この2人の他にも溶接マスクを使って金環日食を観た人が結構いたようです。

【kawaii】 溶接マスクで金環日食を楽しむ人たち 【シュール】 -NAVER まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2133757675419190501

良いアイディアでしたね。

ダンスボーカルユニット

去年2011年の話なのですが、私は『さくら学院』というアイドルグループに完全にハマってしまい、年甲斐もなく、さくら学院のライブやイベントに足繁く出かけていました。

その一環としてTIF(TOKYO IDOL FESTIVAL)というイベントに行った時のことです。

ちなみにこのイベントは8月の27日と28日の2日間に渡り、お台場の特設会場で、計58組396人のアイドルが出演するというアイドルもアイドルファンも日本中から大集合の超特大イベントで、初開催の一昨年に続き2度目の開催でした。 私は8,000円の2日通し券を入手して、さくら学院の他にも多くのアイドルのパフォーマンスを観たのですが、1組とても印象に残るグループがありました。

名前は『Dorothy Little Happy』(ドロシーリトルハッピー)。

私はこのイベントで初めて知りました。 1日目の朝一番のライブセットでさくら学院の1つ前でライブをしたため、早くから前の方で居場所を確保していた私は図らずも彼女たちのパフォーマンスを間近で観ることになったのですが、ダンスもボーカルも楽曲もとてもクオリティーが高くて驚きました。

ネットではさっそくこのイベントに来ているアイドルヲタたちの間で話題になっていて、メジャーでCDを出しているとはいえごく一部のファンにしか知られていなかった彼女たちはこのイベントでかなり知名度を上げることに成功したと思います。


デモサヨナラ Dorothy Little Happy

http://www.youtube.com/watch?v=eccdA-tXzL4


ぎょぴ夫エクリチュール-Dorothy Little Happy


デモサヨナラ (LIVE) / Dorothy Little Happy

http://www.youtube.com/watch?v=BwFjKPxtxQE


ぎょぴ夫エクリチュール-Dorothy Little Happy


Dorothy Little Happy / Life gose on

http://www.youtube.com/watch?v=hGj9D3qughc


ぎょぴ夫エクリチュール-Dorothy Little Happy


この2曲以外も良い曲揃いです。

とにかくダンスが見せてくれます。 カッコいい。

このまま行けばダンスボーカルユニットとしてけっこう良い線いく可能性があると思うのですがどうなるでしょう。


アイドルが売れるかどうかはプロデューサーのセンスと、運(タイミング)なので、本人たちの努力やスキルだけではどうにもならない。

遊び程度にはやっているかもしれませんが、基本的には歌詞や曲やサウンドメイクや振付にアイドル本人達は関わらず、クリエイターが作ったものをパフォーマンスで表現するという部分がアイドルの仕事ですから、アイドル本人たちがどんなに頑張っても限度がある。 どんなに良い役者を揃えても、ストーリーと演出がダメならその作品はヒットしないのと同じですね。

ですから、アイドルをやっている10代の子が、いろいろと考え、悩み、アイドルという仕事を辞めていくのはある意味まともだと私には思えます。

去年もきっと多くの子がアイドルの仕事を辞めていったと思います。 私が知っているところだと、ももいろクローバーの早見あかりさん、スマイレージの小川紗季さん、前田憂佳さんといったところです。

長い目で見れば彼女たちの判断は正しいと思う。 ファンからすれば悲しいですが、彼女たちの人生を思えば良かったと思う。


それと、みんな、ファンも含めて売れることを目指しているわけですが、売れる事と成功が必ずしもイコールというわけではないと思うのです。 もちろん売れない事と失敗も必ずしもイコールではない。

売れていても失敗しているということはあるし、売れなくても成功しているということもある。

これは価値観の問題なのでわからない人にはわからないでしょう。


さて、書いているうちになんだか話が横道に逸れてしまったので元に戻すと、Dorothy Little Happyは今年もっと多くの人に知られて評価されれば良いなと思います。その方がアイドルやエンターテイメントのシーンが面白くなると思うのです。


ただ、ライブを観ているとメインボーカルのMARIさんが声を潰してしまわないか心配です。 握手会に行ったり、ファンレターを書いたりするファンの方にはそのあたりのフォローをしてもらいたいな。




2012年

遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。


私は、ここ数年そうであったように今回の年末年始も家に閉じこもってネット三昧でした。

大晦日から元日にかけては実家で久しぶりにテレビを観ました。 私のマンション(というかアパート)にはテレビを置いていないので。

大晦日の夜は他に観るのもがなかったので、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで ! ! 』を観ていたのですが、これがけっこう面白くて意外でした。

あと、やっぱり池上彰さんの番組は良かったです。



さて、新しい年の始まりですが、私は個人的に2012年のビジョンというものがまったく見えません。

去年よりも気分が沈んでいます。 気が重いです。

去年は新しいことにチャレンジしたりもしたのですが、人生のどん詰まり感、閉塞感、は強くなる一方です。

もちろん私自身に問題があることは確かなのですが、だからといって、この社会の構造、仕組み、システムに問題がある事を見逃してはいません。

自分が問題や悩みを抱えていることの原因を自分の中に捜してもあまり見つからなかったりするものです。

この“自己責任”と“社会責任”の問題はとても複雑で、そう簡単には説明できそうにはありません。


今年2012年は私にとって模索の年になるのかもしれません。 ただし模索したところで何も見つかりゃしないのがわかっているのがキツいです。



街の音楽家

YouTubeで彼女の存在を知ったのは先月11月半ば頃だったと思います。

リンクをたどって偶然観たこの動画。


TRUTH(エレクトーン演奏)

http://www.youtube.com/watch?v=nphwLFJO-4w


ぎょぴ夫エクリチュール-Aria1103


Fantastic !


驚きました。 まさに1人オーケストラ状態。いや、オーケストラというよりバンドですね。

そしてスピード感、躍動感に溢れる彼女の演奏に、私の目と耳は釘づけになりました。


『エレクトーン』って電子オルガンの商品名なんですね、ヤマハの。

私は、もちろんエレクトーンという楽器の存在自体は知っていたし見たこともありましたが、こうやってしっかり演奏されているのをちゃんと聴いた記憶があまりありません。

シンセサイザーや電子ピアノの台頭で最近は昔ほど流通していないような気もするのですが、このような動画を観ると俄然興味が出ます。

上下2列の鍵盤と足元に並んだベースを担当するペダル鍵盤を使いこなしての演奏はかなり難しそうですが、これだけ上手く弾きこなせれば楽しいでしょうね。


彼女は「Aria1103」というIDでYouTubeにエレクトーン演奏の動画をアップロードしていて、このエントリーを書いている時点で43本の動画がストックされています。

彼女のチャンネルに行ってほぼすべての演奏動画を観て、私はすっかりAria1103さんのファンになりました。


アップロードの日付を見ると2007年と2008年に集中的に多くの動画を上げられています。 私が先月、初めに行き着いた、上リンクの『TRUTH』演奏動画も、アップされてから4年経っているんですよね。

でも嬉しいことに、彼女は今年も演奏動画をアップされています。

この記事を書いている時点で、Aria1103さんの最新の演奏がこちら。


風のゆくえ(エレクトーン演奏)

http://www.youtube.com/watch?v=YxjqzFOy2QU


ぎょぴ夫エクリチュール-Aria1103


YouTubeには多くの楽器演奏動画が上がっていて、中にはけっこうな再生回数になっているものもあります。

そういった中にあって、彼女の動画はとても地味です。 奇をてらったところがなく、ウケ狙い的要素もなく、これといった特徴はありません。 彼女自身が選んだであろう曲を淡々と演奏する、あくまでも演奏勝負の動画なんですね。 そしてそのコンセプトに耐えうる演奏技術が彼女にはある。

にもかかわらず彼女はテクニック勝負でもないんですよね。

YouTube内の楽器演奏動画にはものすごいテクニックの人がいて、おそらくはプロの演奏と思われるものもあります。 超絶的演奏技術で観る者、聴くものを圧倒する。 でも、必ずしもそういったタイプのものが魅力的だとは限らないし、人を惹きつけるとは限らない。

Aria1103さんの演奏に私が魅かれるのはとてもパーソナルな次元のことで、言語化するのは難しいです。

彼女はおそらく、音楽の良さ、楽しさをよく知っている人でしょう。 難しい曲を楽譜通りに機械的にトレースする凄さとは違う心地よさが彼女の演奏にはある。 ジャズであろうとフュージョンであろうとポップスであろうと。


Aria1103さんの演奏動画は、選曲、演奏ともにどれも素晴らしいのですが、その中からもう1つだけリンクを張らせていただくとすればこちら。


Starneon(エレクトーン演奏)

http://www.youtube.com/watch?v=jPzrJ9RQAxg


ぎょぴ夫エクリチュール-Aria1103


主旋律を弾く右手が映っていないのがちょっと残念ですが、曲、演奏ともにとても素敵です。


これからもAria1103さんの演奏が彼女のチャンネルに増えていく事を、ファンの1人として楽しみにしています。



幻想の少女

先週、ネットでとても興味深い話に出会いました。

検索サイトで、[ フランス 捕虜 少女 ]で検索するとこの文章が書かれたサイトが出てきますが、この2つのサイトで十分です。


泣ける2ch:捕虜を勇気付けた架空の少女

http://blog.livedoor.jp/nakeru2ch/archives/28786253.html#


短い文章なので書き出してみます。


大戦中にドイツ軍の捕虜収容所に居たフランス兵たちのあるグループが、長引く捕虜生活の苛立ちから来る仲間内の喧嘩や悲嘆を紛らわすために、皆で脳内共同ガールフレンド(?)を作った話を思い出した。


…そのグループが収容されてた雑居房のバラック、その隅に置かれた一つの席は、13歳のかわいらしい少女がいつも座っている指定席だった。(という、皆のイメージ)


彼らグループの中で、喧嘩や口論など紳士らしからぬ振る舞いに及んだ者は誰であろうと、その席にいる少女に頭を下げ、皆に聞こえる声で非礼を詫びなければならない。

着替えの時は、見苦しい姿を彼女に見せぬように、その席の前に目隠しの布を吊り、食事の時は、皆の分を分け合って彼女の為に一善こしらえ、予め決められた彼女の「誕生日」やクリスマスには、各自がささやかな手作りのプレゼントを用意し、歌でお祝いをする。


…最初は慰みのゲームのようなものだったのが、皆があまりに熱心になると、監視のドイツ軍までもが、彼らが本当に少女を一人かくまっているものと勘違いして、彼らの雑居房を天井裏まで家捜しするという珍事まで起こった。

だが、厳しい捕虜生活の中で、他の捕虜たちが衰弱して病死したり発狂や自殺したりする中、そのグループは全員が正気を保って生き延び、戦後に揃って故国の土を踏んだという。


この書き込みに少し脚色が加わったものがこちら。

幻想の少女: Sanctus

http://mary13.seesaa.net/article/106192256.html


両サイトとも出典が明記されていないので、ネットでいろいろ調べてみると、この話の出処らしきものに行き着きましたが、どうやらこの話はフィクションのようです。 そうとう前から出回っていた話のようで、いろいろと脚色が付き、いくつものバージョンがあるようです。

でも、この話が実際あったことなのか否かを詮索することは意味がない。 私はこの話はとても示唆に富むと思う。 大学の入試でも使われたというだけあってとても良くできた思考実験でしょう。


私はこの話を読んで、これはまさにアイドルだなと思いました。

もちろんアニメやゲームのキャラクターでも同じようなことが言えると思いますが。


現代日本のメディアでビジネスとして存在しているアイドルは、実際に存在している人間がやっていますが、アイドルのファン(ヲタ)にとっての主観としてのアイドルは、この話の空想上の少女とそれほど違わないのではないでしょうか。


ファンからすればアイドルは、家庭や近所や学校や会社に居る身近な存在ではなく、自分とは縁もゆかりもない、まったく自分とは関係のない赤の他人なわけです。

にもかかわらず、常にその子のことを考えていたり、自分の限られた貴重なリソースであるお金や時間を惜しみなくそのアイドルのために使ったりする。 いつも隣の席に居る子の生年月日は知らなくてもアイドルの生年月日や血液型や飼っているペットの名前は知っていたりする。


つまりファンは、自分の日常、自分の普段の生活、自分の人生の圏内からはまったく外れた“外側”、“向こう側”に居る子(アイドル)を自分の近くにいる子よりも意識している、気にしているということになる。

もし、その子が“向こう側”のアイドルではなく、自分の日常、自分の生活圏に居る普通の子だったとしたら、今、その子のファンをやっている人はその子に熱を上げていたかどうかはかなり疑問です。

アイドルは、アイドルをやっているその子自体がファンの日常、生活圏には“存在していない”子である事が成立条件なのではないでしょうか。


また、アイドルとファンというのは、アイドルビジネスの商品とその消費者だと考えられます。 もちろんアイドルをやっているその子自体が商品として売買されているわけはなく、売買されているのはその子の肖像であり声ですが。

アイドルは商品であり、アイドルをやっている子は労働者であるわけですね。 その子が、会社(芸能プロダクション)からの指示で仕事(労働)をした結果生み出された付加価値が『アイドル』という商品なわけです。

ファンが認識しているのは決してその子自体ではなく、その子の会社からの指示による労働とスタッフによって造り出した『アイドル』という商品なのです。


たしかに、私を含め多くのファンは、視覚、聴覚を通してその『アイドル』を実存として知覚している。 でもそれは、その子が『アイドル』として提供した素材としての容姿、声であり、スタッフが用意した、決められた日時と場所(ステージ・会場)に、スタイリストやヘアメークアーティストにより装飾された容で、商品として立ち現れる。 プロデューサーとアイドル労働者とマネージャーやスタッフやクリエイターの労働をバックに。


大雑把なことを言ってしまえば、多くの人は、どこかの誰かが『アイドル』として提供している容姿や声といった物理的素材しか、見ていない。

そしてその素材を元に皆がそれぞれ自分の脳内に自分の理想の子を作り上げる。 そして『アイドル』に自分の理想像を投影する。 そして脳内で理想の子となったその『アイドル』にお金と時間をかける。

そして、容姿や声を『アイドル』に素材として提供しているアイドル労働者が自分の理想の子にはそぐわない言動をとると、勝手に失望したり怒ったりする。

『アイドル』とは、人々の妄想や思い込みを吸収する抽象化された偶像なのだと思います。



冒頭の、フランス兵捕虜たちが収容所の中で共に過ごした架空の少女には素材さえ無かった。 容姿や声を素材として提供する少女はいなかった。 だからこそ捕虜たちの空想上の少女は一人一人に徹底的に理想であり続け、実際に彼らを解放の時まで支える事が出来たのだと思う。

徹底的に“存在しない存在”であった彼女は、アイドルの理想の在り方であるような気が、私にはするのです。



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