『この人が私の人生後半戦の生き方を決めた』
J.R.ジャヤワルデナ氏、 スリランカの初代大統領となった方である。私は、この方が第二次大戦の終戦とともに始まった、戦勝国側として、敗戦国日本をどう支配するかと検討している時、1951年サンフランシスコ講和会議で次のように演説をした。 『日本は我が国と同じ仏教国であり、憎しみは憎しみによって止む事はなく、慈悲によって止む。』と戦勝国であるセイロンは日本に対して賠償請求請求件を放棄すると宣言。その発言は戦勝国側の出席者の気持ちを動かして、日本の国土を分断する事がなく現在の繁栄につながっている。
後に当時、日本の首相の吉田茂氏は,その後『我が国日本は後世まで、この大恩を忘れてはならない』と言っている。
その事を知って、じっとしていられなくてフェースブックで知り合った方の案内で、スリランカを初めて訪問。故J.R.ジャヤワルデナさんのお墓まいりを・・・とコロンボ市内を探したが、どこにも無く、有ったのは『ジャヤワルデナ記念館』そこを訪問。館長から色々お話を聞いたり、館内の日本との友好の歴史を物語る数々の展示品をみてその親日ぶりに驚いたのと、彼の存在を今まで知らなかった事がとても恥ずかしいと思った。
J.R.ジャヤワルデナ氏、 スリランカの初代大統領となった方である。私は、この方が第二次大戦の終戦とともに始まった、戦勝国側として、敗戦国日本をどう支配するかと検討している時、1951年サンフランシスコ講和会議で次のように演説をした。 『日本は我が国と同じ仏教国であり、憎しみは憎しみによって止む事はなく、慈悲によって止む。』と戦勝国であるセイロンは日本に対して賠償請求請求件を放棄すると宣言。その発言は戦勝国側の出席者の気持ちを動かして、日本の国土を分断する事がなく現在の繁栄につながっている。
後に当時、日本の首相の吉田茂氏は,その後『我が国日本は後世まで、この大恩を忘れてはならない』と言っている。
その事を知って、じっとしていられなくてフェースブックで知り合った方の案内で、スリランカを初めて訪問。故J.R.ジャヤワルデナさんのお墓まいりを・・・とコロンボ市内を探したが、どこにも無く、有ったのは『ジャヤワルデナ記念館』そこを訪問。館長から色々お話を聞いたり、館内の日本との友好の歴史を物語る数々の展示品をみてその親日ぶりに驚いたのと、彼の存在を今まで知らなかった事がとても恥ずかしいと思った。
