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2泊3日のしめくくりは

霧島神宮から高千穂の峰を越えたところにある【東霧島神社】へ。

【東】と書いて【つま】と読みます。

田畑の合間に家が点在し集落を成しています。

【降灰集積所】という看板を目にして,ここが新燃岳の噴火で被害を受けた場所だと思い出しました。


東霧島神社は,そんな降灰集積所の看板を通り過ぎただだっ広い駐車場の奥にありました。

平日だったこともあり,ひっそりと静かな中で,氏子さんの家庭のお子さんでしょうか,中学生くらいの年齢の女の子たちが,母親や祖母の年代の方達と掃除,駐車場の案内設置,燈籠をみがいたりと,お正月の準備をしていました。

どの地域でも,神事というのは地域の女性たちの力なしには成り立たないのだなーと思います。

そして,こうやって代々受け継がれていくんですね。

こちらの神社には【鬼岩階段;振り向かずの坂】があり,天台宗や真言宗の修行僧が一心不乱に経をとなえ,行を行っていたそうです。

そこから転じて,振り返ることなく願いを一心に登れば願いがかなうそうです。

ということで,登ってみましたが…。

一心不乱に,あまりに登ることに集中してしまい,途中から願い事のことは頭から消えていました(笑)

鵜戸神宮の運玉を投げた時もそうでしたが,亀石の穴に見事INした一球は,その瞬間なんにも考えていませんでした。



【願いは自分でかなえよ】ってことと,【無心】であることが思わぬ運を引き寄せるってことでしょうか。



鬼岩階段をのぼりきった先に樹齢400年の大杉があり,枝の部分に龍神様があらわれています。

来年は辰年,
そして龍神様は水の神様。

水に泣かされ
水に助けられ

このタイミングで辰年を迎えるのは,偶然ではない気がします。

水はあらゆるものを磨きます。

決して観光地化されていない神社で,いろんな物事の原点とか基本みたいなことを考えていました。


パワースポット巡りをする前に、まず自分の日常から調えなければ。

【丁寧に生活する】

そんな言葉がおりてきました。



それから,私個人の考えですが,

パワーとか元気というものは,誰かから一方的にもらうものではなく,循環させるものだと思います。

また【欲するなら,まず与えよ。】で,自分からまず何かを誰かに与えるところから始めた方が,より運というものは強く動くのではないかと思います。(たとえ一円の寄附であっても,です。心が大事)

【無】から【有】を生み出すエネルギーを持つ人には、誰だって味方したくなるでしょう。


もし,そんなエネルギーが湧かないほど疲弊している時は,何にもしなくていいのだと思います。

誰かと比べて焦ることにエネルギーは使わずにおきましょう。力が湧いて来てから動けばいいのです。



日常に埋没していると
自分の物事・人に対するスタンスや価値観を忘れがちになりますが,パワースポットと呼ばれる場所は

全身に纏った余計なものを洗い流し,自分を再確認する力があると思います。


パワースポット。

行ってお願いして満足するか?

行って何かを感じて,帰ってからの生活にテーマを見出だすか?



どう関わるかは,自分次第なのです。