個人間においてもそうですが
ライトワーカーグループという場においても、
目に見えないものを扱う言葉は、
ひとたび疑われた瞬間、
最も鋭い刃へと変わります。
「嘘つきだ」
「闇に取り憑かれている」
その声は巡り巡って、
やがて本人の耳に届き、
想像以上に深い傷を残します。
出来事をグループ全体に共有し、
話し合いの場を望んだとしても、
誰一人として動かず、
沈黙だけが守られることがあります。
その沈黙によって、いったい
誰が最も傷つき続けるのでしょうか。
集団的自己保身とは、
真実よりも「波風を立てないこと」が
選ばれてしまう状態です。
争いも、証明もなされぬまま、
誰かが静かにその場を去る。
人から聞いた断片を
別の権威へと渡し、
火種だけを移動させる者が残ったとしても、
その場所こそが、
その人にとってふさわしい波動であり、
同じ世界なのかもしれません。
目に見えないものを扱う世界では、
真実は証明されません。
けれど、
人がどのように立ち、誰を守り、
何から逃げなかったのかは、
必ず痕跡として残ります。
もし話し合いを本当に行うなら、
中立性を保てる
感情の交通整理ができる
嫌われる覚悟がある
この三つが必要です。
正直に言えば、
多くの人が避けるのも自然でしょう。
失敗すれば、自分自身が
次の火種になりかねないのですから。
どこかに、そんな強い
ライトワーカーはいるのでしょうか。
静観とも呼べる沈黙は、
必ずしも悪意ではない。
そう言えるのかもしれませんね。