今年は元旦に家族でイオンモールに行った。元々あまり福袋には興味がないのだが、ほとんどのお店でセールをやっていたのでいくつか回ってみた。

それにしても楽しくない。

色がわからない。柄がわからない。

そんなことは今に始まったことではないけれど、このもどかしさは増すばかりだ。

家族の説明に耳を傾け、自分なりにありったけの想像力を働かす。でも、そのものを捉えられない。できないものはできないのだから仕方がないと、他人なら割り切れるのかもしれない。

ひとりでお洋服を見ていた頃が懐かしい。あの頃だって、値札やサイズ表記を見つけるのに苦労していたけれど。時々何かにぶつかったり、つまずいたりしていたけれど。

それでもひとりで自由にブラブラできた。

最近の私のお買い物といえば、買う物は行く前から決まっていて、ただそれを探して見つかったら買うだけ。その場で目に飛び込んでくるものは何もない。無駄な衝動買いもしないが一目惚れもしない。

とにかく楽しくない。

「あっ、あれかわいい~ドキドキ」とか久々に言ってみたい。
旅をし続ける私汗

ついこの間も上海に行ってきた飛行機ヨーロッパとアメリカであんなに「見えないことの切なさ」を味わったというのに、それでも無性にどこかに行きたくなる。まあ今回は観光がメインではなかったのでまだ気が滅入る瞬間は少なかったかなガーン今後はただの観光で海外に行くことは減るだろう。

もう私には何かを「見て」楽しむことはできない。美術館も博物館も大好きだったけど、それは多少なりとも見えていたからであって、今の私では入館料を払うのがもったいない。

上海では万博にも行ったのだが、私にとっては「長いお散歩」でしかなかった。「目以外でも楽しめるものはあるだろう」と言われそうだが、それらを全部足しても目にはかなわない。

次回の旅からはお食事とかエステとか音楽鑑賞に重点を置いて計画を立てよう音符あとは「誰と行くか」も非常に重要だ。
今月はヨーロッパに行く。観光もするけど、とある国際会議に出席するのが主な目的。

私は昔から旅行が大好きで、特に街並みや景色の美しいヨーロッパにはよく足を運んでいる。いちばん印象に残っているのは、1997年に訪れたドイツとオーストリア。あの頃の私には「色」がわかった。緑の山々、湖の吸い込まれそうな水の色、黄色の壁、白い花…私の世界は色彩豊かだった。こんなふうに書くとものすごく見えていたように思われそうだが、今の私に比べれば、という意味だ。

次にヨーロッパに行ったのは2004年で、この7年の間に私の見え方はだいぶ変わってしまったのだと痛感した。2004年にはもう1回ヨーロッパに行ったけど、そのときからだ、「もう私には景色を見て感動することはないのかもしれない」と思い始めたのは。

それでもまだ建物なら、美術館や博物館なら、夜景なら…そんな期待を胸に2006年、2008年にもヨーロッパへ行った。明らかに見えないもののほうが多くて切なくなったが、まだほんのわずかでも見えていることに安堵した。

さて、今回の旅は不安のほうがはるかに大きい。どこに行っても何も見えなくて泣いてしまったらどうしよう。涙を堪えられるだろうか。あまり自信がない。
私はよく飛行機に乗ります。国際線は年に3往復、国内線は10~15往復くらいでしょうか。最近は専ら通路側に座ることがほとんどなのですが、ごくたまに窓側に座ることがあります。

窓側に座るとついつい窓のほうを見てしまいます。一応空が明るいか暗いか、くらいはわかります。でも、空の色はわかりません。もちろん景色なんて全然見えていません。それなのに、ついつい窓の外に視線を向けてしまうのです。そして、「ああ見えないなぁ」と思いながら、昔たまたま目に入った窓からの景色を思い出します。

その頃だって、そんなに見えていたわけではなく、見えていたものが何だったのかはどれひとつ確証が持てません。たぶん雲、たぶん太陽、たぶん海、たぶん道、たぶん川、たぶん建物…みたいな感じです。あのときは、目の前の「たぶん○○」が実際は「何」なのか、がすごく知りたかった。しかもその場で。それが難なくできるくらいの視力と視野が欲しかったんです。でも今は「とにかく何でもいいから見えて!」って思います。それが私が「見たくて見られた」ものじゃなくてもいいから。本当に偶然視界に飛び込んできたものでいいから。それで過去の私は十分感動したのですから。
1回きりの投稿になりかけたが、がんばって書くことにしようショック!

数日前、テレビでSMAPの香取くんが主演映画のPRをしていた。

盲目の人物を演じた香取くんが発した一言一言が、まさに人生半ばで失明しかけている私の気持ちを代弁してくれているかのようだった。

他にも盲目の人物を演じた役者さんたちのコメントに「そうなの、そうなのよ」とうんうん頷いたことがあるので、あれくらい本気で擬似体験すれば目が見えている人にもこの気持ちを理解してもらえるのかもしれない。数秒目を閉じたくらいではあの深さまでは到達できないだろうから。

でも、だからこそそんな滅多にできない経験をした役者さんたちの言葉はとても貴重だ。

そして、やっぱり私は「元見えていた人」なんだなぁってつくづく思いましたニコニコ生まれつき全盲の人よりも、一時的に盲目になった人のほうが共感できる点が多いんだものあせる

役者さんたちは、目を開ければ当然見えるわけで、私もいつかそんな日が来てほしいキラキラ
文章を書くのはすごく苦手だけど、今日はbirthdayということで、新しいことを始めるにはいい日だろうと思い、とりあえず書いてみることにしました。

あまり深く考えずに素直な気持ちを綴っていきたいと思います音符