歪なバディ4 〜元刑事の探偵と世話焼き甥っ子
「なあなあ、ヒナくん。おじさん、もう疲れちゃったよぉ」
奥へ進むたびに吐き気をもよおす山歩きにそろそろ耐えきれなくなり音をあげてみれば、生地もデザインも抜群のトレンチコートを俺に見繕ってくれた甥っ子はふんわりほわほわとした笑顔で振り返る。
「オレの大好きな清史郎さんなら大丈夫! あともうひと頑張りいけますよ」
でかいバックパック越しに見せるふわふわのくせっ毛の可愛い甥っ子の信頼がまぶしい。
小さい頃は華奢で女の子によく間違えられていた甥は、いまや俺を見下ろすほど背が高く立派な好青年になっていて、その成長がさらにまぶしい。
「ヒナくんがおじさんを大好きなのは知ってるけど、アラフィフの体力低下を見くびらないでぇ」
「いやだな、オレ、清史郎さんが今もちゃんと体づくり頑張ってるのも知ってますよ」
弱音を吐いてみたけど、まあこう返されるのはわかっていた。
この山歩きが耐えきれなくなっているのは事実だが、体力的に厳しいわけじゃない。
こちらの限界をしっかり見極め、寄せられる全幅の信頼までまぶしすぎて、そろそろ俺の目が潰れる。
「さあ、到着です!」
「あー、……こりゃひでぇ」
黄昏をむかえた山陰の集落は、悍ましいという表現そのもののように空気が澱んでいた。
腐臭がひどい。
もうどうしようもなく腐り切った、末期の臭いが充満している。
『事件』の終着点としてはある意味相応しいだろうが気分のいいもんでもない。
せめて自分たちは最後の瞬間に間に合ったとは思いたいが、さてどうだろうか。
「あんたら、こんなとこまで何しに来よった?」
ザリザリとしたノイズとともに、どこからともなく集落の男たち数名が俺たちの前にやってくる。
その手には、辺りを照らすための長提灯が。
それが連なり、列をなし、群れとなり、まばらな家屋の影にはその倍ほどの人数が控えているのも見てとれた。
警戒どころか殺意にも等しい害意を隠しもしない村人たちのねめつける視線にさらに吐き気がした。
ほんの一言二言やりとりしただけで、腹の底がどうしようもなく不快さで落ち着かなくなる。
「いやぁ、こちらも仕事でしてねぇ。受けた以上はやらなけりゃいかんのですよ」
努めて愛想良くふるまうが、まあ、不信感が拭えるとも思えない。
いや、そもそも拭う必要もないだろう。
「仕事? あんたら、なにもんだ?」
「どう説明したら良いですかねぇ」
「先生は大学で民俗学を専門にしてるんです。ボクは助手をさせてもらってます。いろんな土地に伝わる伝承を調べていくなかで、こちらに伝わるオトトギ様のお話を知りまして。あ、こちら名刺になります」
さらりと横からヒナが参戦してきた。
しかも、いつ作ったのか偽名かつ偽の肩書きの名刺まで懐から取り出してリーダー格の男へ差し出した。
マジでいつ作ったのかわからない。
「おととぎ様についてだと?」
村人たちの反応が、ピリつきつつも、ほのかな戸惑いを覗かせる。
「はい。こちらで執り行われる神事について、民俗学として新たな知見を得られるのではないかとの期待を持って伺った次第です」
「どこで知った?」
「うちの先生が列車で移動している時に聞いたんですよ。ちょうどフィールドワークの最中でして、ほとんど偶然なのですが、むしろそこにこそ運命的なものを感じました」
さらにヒナはよどみなく口から出まかせを吐いていく。
人好きのする笑顔で息をするように嘘を口にする甥っ子に、俺の胃が別の意味でキリキリ痛みだす。
その設定で行くのは無理がないか?
そう心の中でツッコミを入れる。
だが、それが功を奏してしまうから怖い。
村人の間で相談し合うような、あるいは互いを伺うような視線が行き交い、警戒を解くまでには至ってないが、それでも敵意を孕んだ緊張が緩む。
「だがおいそれと外の方を儀式へ参加させるわけにはいかんのだが」
「儀式のおじゃまをしたいわけではないんです。全てを見せてくださいなどと無理なお願いも致しません。ただこちらに伝わるお話を伺ったりですとか、あとは、せめて参拝を」
そうしてあれよあれよと言う間に、ヒナとともに俺は村の中へと入り込む。
音を研ぐと書いて、オトトギ様。
俺にとっては馴染みのない、そもそも依頼でなければ一生縁もなかっただろう土着信仰とやらの神様だ。
その名を知ってるだけで共同幻想に取り込まれるような錯覚に陥るから不思議なものだとも思う。
俺もヒナも、神の奇跡を否定はしない。
土着の神とその信仰を否定するつもりもない。
だが、その共同体が「外」に影響を及ぼすのなら話は別だ。
神秘体験ーー呪術や儀式の裏に毒性植物ありと俺たちはみなしている。
そして、聴覚を過敏にさせる作用をもたらす物質はーー
ああ、ほら、な。
日が暮れて、集落に篝火がたかれる。
雅楽の音に乗せた独特な抑揚の祝詞が辺り一体にゆるゆると波紋のように広がり包み込む。
繰り返されるうちに意識がぼんやりと混濁し、聞こえない音が聞こえてきそうだ。
だから、わかる。
わかってしまう。
神の奇跡はこの場所にはないのだと。
オトトギサマとやらを祭るお堂の奥には等身大の人形と思しき影が石の台座に据えられていた。
腐敗した空気がより一層重くのしかかるせいで吐き気がずっと止まらないが、ここで吐くわけにもいかない。
地獄だ。
そして、この地獄は、俺たちがここへ招かれた時点で終焉へ向かうことが約束されている。
厳かな儀式の最中、神楽の音色を遮るようにヒナが言葉を発した。
「信仰は尊いものです。この国には、八百万の神への信仰のもと、さまざまな神様を受け入れる器があります」
人懐こい笑顔をそのままに、ヒナの声の温度は急速に下がっていく。
「でも、知ってますよね? この国に生きている以上、我々には厳格なルールが課されているということも。ねえ? いけませんよ、ルールはルールです、この国で生きていく以上、ひとの命を勝手に供物になどしてはいけない」
まるで舞台に立つ役者のように、いっそ場違いな程によく通る声で幻想を貫き、ヒナは手にしていた長提灯を地に落とした。
タイムラグはほんの数瞬。
中で揺れていたロウソクの炎は、刹那、恐ろしいほどの速度で燃え上がりながらお堂へ向かって走る。
「なにを!?」「消け! 早く!」「オトトギ様がっ」
驚愕と共に駆け出す男たちと、虚無の漂う表情で佇むだけの女性たち。
二極化された反応は、おそらく、儀式への信仰と払われた犠牲の大きさに由来するのだろう。
彼女たちは耐え切れないほどの喪失体験を、おそらくは奇跡の体験で上書きされ、感覚も感情も鈍らされ、夢の中にいるのではないだろうか。
あるいは、かつての俺の姉夫婦のように、いつか来る『終わり』を待ち続け、待ちくたびれてしまったのかもしれない。
「あんたらは忘れてしまったんだろうな。神は荒ぶるものであり、祟るものであり、決してヒトの欲望に都合よく使われる存在ではないってことを」
炎は本殿には届かない。
あれは混乱を引き起こし、心理的動揺を引き出すための演出だ。
可愛い甥っ子に放火犯の罪を犯させる真似はしないし、可愛い甥っ子は境界線を理解している。
探偵の本質は『真実という名の認知』をいかにコントロールするかだと俺たちは思う。
信仰の名の下に神への儀式と称して繰り返されてきた嬰児誘拐の果ての人柱。
その裏で取り交わされる幻覚剤。
ヒトは依存する、依存したものに振り回されながら倫理観も思考力も失って、ただひたすらに求め続け、気づけば周りを巻き込んで地獄へと自ら進んで沈んでいく。
それを止めるために、俺たちはここにきた。
止める、とはすなわち、信仰の崩壊だ。
神の奇跡と救済を謳う者たちへ信仰を問い、問い続け、そして、紛い物の奇跡どもに罪を突きつけ全てを解体するためにいる。
コレは復讐だから。
かつて、事件によって俺は唯一の肉親である姉を失い、雛紀は10歳で両親を失った。
姉夫婦の命を奪った事件は、今なお本当の意味では解決していない。
仇を討つのだと泣いたこの子を引き取り、自分とこの子のために刑事から探偵へと転身したことを後悔はしていない。
国家権力に属したままではあまりに制約が多いすぎると判断した結果の決断だ。
だからといって自分が探偵に向いているとも思えないまま、この稼業も15年を超えた。
あの日からずっとあの犯人を追い続けている。
復讐からは何も生まれないというが、少なくとも俺とこの甥にとっては明確に生きるエネルギーだ。
姉だって、俺と同じ立場になったら復讐を誓い、俺を遥かに超えるクォリティでやり遂げていたことだろう。
これは確信だ。
多分きっと絶対、俺たちのこの気質は血に刻まれ受け継がれているものだから。
「さてと、懺悔の時間だ。告解と贖罪の機会をおまえらに与えてやろう」
探偵の名の下に断罪の鐘を鳴らすため、俺は『事件』のすべてを解き明かす。
可愛い可愛い俺の甥っ子。
兄のように、父のように、全身全霊で慕ってくれる可愛い甥っ子からの期待。
それに応えるために俺はここにいる。
