「ねえ、かなめちゃんって病院で幽霊見たことある?」


看護師仲間でローカル劇団の役者もしてる万里子さんからのお誘いでやってきたお気に入りの夜カフェ。

通された奥の個室で美味しいハンバーグを食べ終えて。

余韻に浸りながら、やってきたデザートの米粉とそば粉のクレープに取り掛かろうとしたところで差し出されたのがその質問だった。


「え、いきなりなに、どうしたの?」


思いがけない彼女の問いに、私はつい質問で返してしまう。


「ほら、うちのとこ、看護学校の実習とってるでしょ? 夜勤実習の時にね、学生さんからそんな質問されてさ」

「学生さんから? え、なかなか肝のすわった学生さんだね……社会人組?」

「正解! 物おじしない面白い子だったわ。でも、すごい怖がりみたいでね。その子から聞かれたのよね、幽霊見たことありますかって」

「あー、うん、なるほど。万里子さんは?」

「ない、全然ない。先輩からは聞いたことあるけど、何しろうちに霊感はない、20年以上看護師してて一度もない」


だから他の人はどうなのか、ちょっとした好奇心もあって聞いてみたと万里子さんは言う。


「んー、『ほんとにあった怖い話』って言うならネタがないわけじゃないけど」

「え、あるわけ?」

「まあ、今の小さな診療所じゃなくて、市内の大きめの病院に勤めてた時だけど」


あれは、私がまだ病棟ナースをしていた頃の話だ。

私が配属されていた部署は、いわゆる老年期ーー高齢者の方々の介護がメインになる心療内科だった。

認知症の症状で夜中でも大声をあげてしまう方、おむつ交換などのケアに対して手や足が出てしまう介護抵抗のある方、そして、長く精神を患いながら加齢とともに終末期を迎えている方が主な患者層だ。


「救急病院や急性期に比べると、夜は基本的におだやかなの。荒れる時は荒れるけど、それでも一刻を争うような緊急性はない感じが多かったかな」


何しろ、どれだけ荒れたとしても基本的に夜勤明けは定時で帰れた。

さらに前にいた人工呼吸器が稼動する内科病院に比べたら、本当に穏やかで。

これが精神科でも急性期になると話が違ってくるけど。


さて、話を戻そう。

これはどこも一緒だと思うけど、夜勤中の休憩(仮眠)は相方と交互に取るようになってる。

つまり、相手が休んでいる間は一人で懐中電灯片手にワンフロアすべてをラウンドし、異常がないかを確認していく。

何もないことを祈りながら。


「でね、その日は本当に静かな夜で、病棟全体が静まりかえってたの。だからかな、か細い声が聞こえた時はドキッとした」

「……声?」

「助けて、って。繰り返し、助けて、誰か助けて、って聞こえてきて」

「それってまさか」


きゅっと胸の前で手を握り、万里子さんの表情がこわばった。


「当然声の出どころを探すわけね、暗ーい病棟内をひと部屋ひと部屋」


そして、ある部屋で私は血の気が引いた。


「声が聞こえてるのは病棟の一番奥の大部屋で、しかも一番窓側のベッドからでね……そのベッド、誰も寝てなかったの」

「え」


それがどういうことか、なにを私が恐れているのか、彼女は気づいただろうか。

あの時の私の恐怖たるや、今思い出してもゾッとする。


「……落ちてたのよ、患者さん。ほとんど自力で動けないはずの患者さんがベッドと壁の狭い隙間から床に落ちて、そこで身動き取れずに助けを求めてたの!」

「!?」

「私よりはるかに大柄のおばあさまが、自力で立つことのできない方が、壁とベッドの隙間で正座状態で床にいて……点滴の針は抜け、血もついてて」


他の患者さんはすやすや眠っているために部屋の電気をつけるわけにもいかず、ベッドサイドの灯りと懐中電灯を頼りに、一人で彼女を抱き起こし、ベッドへ戻し、バイタルを測りつつ外傷の有無を確認して、めちゃくちゃ細い血管にもう一度点滴の針を入れ直すのもして。


「幸いそれ以外の外傷らしい外傷はなかったけど、もう、本当もう!」

「……やだ、鳥肌やばい、ガチの怖い話じゃん!」

「ほんとね、本当にね、幽霊なんて怖くないのよ、オバケとか全然どうでもいいのよ、患者さんに何かあったわけじゃないなら!」


これで骨折とかしてたら、救急車に同乗して整形外科に救急搬送待ったなしだった。

私が搬送に同行すれば、相方は実質私が戻るまでワンオペ夜勤状態だ。

一応介護士さんもいてくれるからひとりぼっちじゃないけど、でも看護師の仕事は看護師にしかできない。

他の病棟から応援を頼めたらいいけど、多分他も人数ギリギリだから無理だと思う。


「霊感あってしんどいって人も中にはいたけどね、最終的にはやっぱり患者さんに何かあったわけじゃなく、業務に支障出てないならいいや、になるみたい」

「……わかる、だよね、やっぱそうなるか、なるね、うん」


万里子さんは深く深くうなづいた。

ちなみに、万里子さんの同僚は、夜間ラウンド中、廊下の角を曲がったところで病室から匍匐前進で這い出てきた患者さんを見て悲鳴を上げたという。


「それも怖すぎ」

「どうやって物音立てずにベッドから降りたのかわかんなかったって言ってた」


多分きっと世の看護師の大半は、幽霊より患者の急変や異変、事故の方がはるかに怖い。


「いや、うちにこの質問した学生さんにもさ、現場に出れば幽霊よりも怖いものにたくさん出会うから大丈夫って言っておいたんだけど」 

「大丈夫の要素は謎だけど、そうなるよね」


その後もひとしきり『本当にあった怖い話』を披露し合いながら、私たちはクレープシュゼットに舌鼓をうった。

爽やかな柑橘の香りとひたひたになるほどたっぷりの果汁ソース、そしてカラメルのほろ苦さが絶妙。

ソースとクレープの熱でとろけていくアイスも最高!


看護師ゆえだろう、『それはそれ、これはこれ』思考で食とおしゃべりを両立させる。


なお、かつて精神科に勤めていた先輩は、隔離室を映すモニター内に座り込む子どもの姿を見たらしい。

精神科における隔離室は、外から鍵がかかる、鋼鉄の扉で閉ざされた密室だ。

患者さん以外、まして子供が真夜中に入り込める余地はない。


白黒のモニター映像に映り込んでいたあの子何者だったのか。


そんな話を最後に付け加えつつ、食後のコーヒーにほっこりと笑い合う。




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