私は大学時代
国文学を専攻していました。
古事記からはじまり
枕草子や源氏物語
徒然草や方丈記等々等々
とにかく有名どころはもちろん、
よくわからないものまで😅
山盛りで
古典を読まされました😅
(もちろん原文です)
もともと歴史は好きで
本当は世界史を
専攻したかったのですが
世の中はそうそう
うまくはいかず
(つまり落ちた😅)
なので、古典は嫌いではなく
特に鎌倉時代前後は
人間臭い感じで
好きでした。
時代が現代に近くなると
さほど興味はなく
必須だったので
漱石や太宰や誰やら彼やらも
一通りは読み、
レポートを書き
テストも受け…
でしたが
きれいさっぱり
忘れました😱
そのお陰で
のちに中学教師になったとき、
痛い目に⁉️あいましたが
古典や漢文は
苦労知らずでした🎵
(今は、これらも
きれいさっぱり忘れました😱)
ところで…
中学校の国語の教科書に
「徒然草」が載っています。
「つれづれなるままに」で始まる
今で言う
エッセイ集ですが
けっこう笑える内容も多く
「今も昔も
あんまり変わんないんだなあ~」と
進歩のなさと同時に
いにしえの人々への
親近感もわき
そういう意味でも
教材として
採用されているのでしょう。
うちの息子たちの時は
ありましたが
今はどうなのでしょう?
さて、なぜ
「徒然草」かというとですね。
その中に
「仁和寺にある法師」
というのがあり
かいつまんでいうと
その法師が
岩清水八幡という神社に
1人で出かけていって
満足して帰ってきたのだけれど、
実は
本社にはお詣りせずに
八幡宮の付属の
お寺や神社だけしか見てなかったのに
そうとは知らず
自慢げに話をした。
「すこしのことにも先達は
あらまほしき事なり」
(どんなことであっても
その道の案内人=達人がほしいことだ)
というオチなのですが
昨日ブログに書いたことが
まさにそれで😅
(「それ、なに?」
という方は
昨日のブログ読んでください(笑))
思い込んでいたり
わかっているつもりになっていたり
自己流だったり…
そういうことを
筆者(吉田兼好さん)は
戒めてるんだね~
と授業で
話してました😅
わかっていても
やってしまう
それもまた、
愛すべき
人間の本質ですかね⁉️😅