原爆投下から70年

 

福岡で育ったせいか
原爆=長崎
の思いが強い

今は、
どうなのかわからないけれど、

私自身は
小学校の修学旅行で
長崎に

中学校では
広島に行き、

「平和学習」の1つとして
「原爆」を学んだ。

長い長い夏休みも

8月9日と8月15日は
平和学習のための
出校日で

「戦争」や「平和」を
考えた。

教員になってからも
しばらくは
過去の戦争だけでなく

現在進行形の
世界的視野からみる
戦争について

「平和授業」をやっていた。

生徒たちは
常に真摯に受けとめて
中学生らしく
考えてもいた。

中学生は

本当は想像力も
正義感も
大人より
ずっとずっと強く

自分がその立場になると
どうするかを
真剣に悩むことができる。

その機会さえあれば。

でも、いつの頃からか
出校日が一日になり

やがてなくなった。

8月15日はお盆にもあたるので
現実的には
欠席する子もいたし、

学習指導要領やら
週5日制やら…

世間的にも
なんだか忙しくなって

いろんな要素が重なって
なくなったのだけど、

なんとなく
8月9日や8月15日が
それまでと比べると
特別な意味を
もたなくなった気がした。

 

もちろん、8月6日も、

「ハムの日?」しか
思いつかないという
笑えない話もあり…

子どもたちが
小学生になり

ふと、

「東京の子って
長崎にも広島にも行かないんだ」

と気づいて

東京産まれ、
東京育ちの夫に
話したら

「そういやあ、
俺も、平和公園は行ったことない」

確かに
東京からだと
遠いね…

それで

福岡に帰える時に
広島経由で、

 

さらに
両親との旅行で
長崎へ

夏休みの自由研究もかねて
行ってみた。

数日の間に
二ヶ所を見たおかげで

その微妙な違いを感じ
それぞれに
違った衝撃を受け止めていたように
思う。

 

これから先の彼らに
どんな影響を与えたかは
具体的にはわからないけれど

少なくとも、

今の平和ボケの生活が

本当は
当たり前ではない
ということは

考えられたと思う。

日常は
時間に追われ

考えなくても
過ごせてしまうけど

せめて
8月6日や9日や15日や…

立ち止まって
考える日に、

と思う。

 

11時2分黙祷~