夫が年明けから立て続けにバンコク出張に行き、すっかり変わったと嘆いていました。
夫は、実に6年ぶり。
今回は2泊3日の駆け足出張だったから、風邪がひどくなったのかと思ったら、
空気の悪さのせいだったらしく
日本についたら、だいぶ良くなったようでした。
ふと、バンコク滞在日記の最終回、UPしないままだったってことを思い出し
1年前の書きかけを発掘
今さらだけど、やっぱりこれはUPしておこうと思いまして・・・
2011年12月の出来事なので、
きっと、さらに変わっているにちがいない、と思いつつ・・・
一番行きたかったところ、内輪ネタで済みませんが…
スクムビットソイ24にある、
2004年から2007年まで住んでいたマンション
行った頃は、スクムビットの奇数側に「日本人街」があり、
(今は、トンローやエカマイの方にまで広がっているそうです。
日本人学校にほんの少し近いからかな。)
ソイ24というと、「シーローいないんでしょ?生きていけない」などと言われていました。
(タクシーがあります)
しかもうちは24のソトソイ(ソイの出口側。スクムビット通りから一番遠い所)だったので、
「遠いね」と言われていました。
住んでみると、マンションの敷地内にレストランもスポーツクラブもスーパーもあり、とても便利。
ラマ4に近いので、ロータスとかカルフール(少し前に、ビックCになってます)も歩いていけるし、エンポリアム(デパート)も徒歩圏。(ただし、住んでる日本人はほとんど歩かない(-_-;)
また駐在になったら、また住みたい、と思ってたくらいでした。
が・・・・今回行って、息子たちと「いい時期に住んでたね」と話しました
すっかり変わってました本来の姿に戻ったのかもですが…
スーパーもレストランもなくなってました
スポーツジムはありましたが、やってるの?って感じ。
ここのスパはすごくよかったんだけどな。
ここはきれいになっていました。色塗り替えただけ?って噂も・・・
せっかくなんで、泳ごうということになりましたが…さすがに乾季なんで、寒かったそうです。
一番深い所で、3mくらいあり、
住み始めたころ3歳だった次男は、溺れてるんだか泳いでるんだかわからない状態から、
6歳になって帰国する頃には、キロ単位で泳げるようになってました。
たまに掃除をするために水が抜かれるのですが、この時とばかりに
うちの子たちは、プールの中でサッカーやったり、自転車のったりしてました。
遊ぶスペースが限られているからなのですが、その頃は子どももたくさんいました。
クリスマス休暇中だし…乾季だし…とはいえ、人っ子ひとりいませんでした。
住んでた頃は、日本人学校の大型バスが3台も来るほどたくさんの日本人が住んでましたが、ばったり会った、同じ時期に住んでいた(今も住んでいるそうです)Hさんの話では、
今は、7世帯だけだそうです。日本人が帰国した後、新しい人が入らず減り続け、
今はインド人と韓国人が多いそう。
うちが住んでた頃は、欧米人がたくさんでした。
5年たったんだなあ~と思いました。
24も、日本人街になったのかなあ…日本語の看板が異常に目立ってました。
ひなびた温泉街のような感じ。
ちょっと責任感じます…タイらしくなくなっちゃって・・・・
いつも、ものすごい渋滞だったのが、走ってるのはホテルのシャトルトゥクトゥクばかり…時間帯にもよるんだろうけど…・
あの頃は、シャトルトゥクトゥクはめったに見ませんでした。
送迎しないと、宿泊客がいないのかも・・・って思ってしまいます
5年ぶりのソイ24を中心にしたバンコクを寂しく思うのは、
私たちの勝手な感傷なんだけど、
第2の故郷的な子どもたちのショックはかなりのものでした。
上の子は、「大人になって、仕事とかで来ることはあるかもだけど、
(それ以外では)もう来ることはない」と言いきっていました。
小学生だった彼が、勝手にイメージを膨らませてただけだろうとは思います。
タイらしいって何?ってのもあるし、昔のままでいるなんてありえない。
それこそ、余計な御世話だし、日本人にも責任があることなのかもだけど、
タイ(バンコク)はどこに行っちゃうんだろ~なんて考えちゃいました。
大好きな国だからこそ、勝手な思い込みで荒らすのは、慎まなきゃなあ~って思いました。
そして、今。「行かない」といっていた上の子も、
もちろん私も、バンコクの空気が懐かしく、
お金をためて「次はヨーロッパ」と言いつつも、「やっぱ、バンコクは外せない。」
と、つい、うっかり言ってしまう毎日です
やっぱり、好きなんだなって改めて思いました