そこはたぶん夢の中だった。
たぶんというのは妙にリアルだったけど決定的におかしいところがあったから。
目の前で男が笑っていたのだ。
別れを告げたはずの男が。

「何をしているの?」

聞きたい事は、言いたい事は他にもあったはずだった。
だが口を付いて出たのはそんな言葉。

「ミトこそ何をしてるの?そんな格好で」

微笑んだままそう問われ自身の体に目を向けた。
腕には異変は無い、胸にも足にも。
更にその下に視線を向けてはっと息をのんだ。
足元には真っ赤な水溜りが出来ていて、悪寒がして振り向いた。
嫌な予感が当たる、そこには一人の小太りの中年男性が横たわっていた。
知っている男だった。
否、知っていたはずの男。

「違う!違う!私はっ…!」
「違わないさ、君は獣だもの」

男はフフッと笑う。
足元の血がミトの体を染め上げていく。

「いやっ!違う!違うの…っ!」



*****

はっと目を開けると暗闇だった。
やはり夢だったのだ。
良かった、と安堵するとふと右手が冷たいことに気が付く。

「…?」

足元の灯りに手を伸ばして光を付けて息をのんだ。
服が紅く染まっていた。
痛みは無い、傷もないようだ。

「嘘、でしょう?」

誰に聞くでもなくミトは呟いた。
あの夢は何を意味していたのだろう。
これはまだ夢の中なのだろうか?

あぁ、夢であってくれ。
ここは何処だ?私は誰だ?どこ?私は何だ?
―どこにいるの?何が?あの人?誰が?
誰?何?どこにいるの?どこにいるの?どこにいるの?

ドコニイルノ?―――ゴシュジンサマ。





「あれは?」

男はまるで檻の様なその部屋の中を示して尋ねた。
白衣の男は纏められた資料から目を離さないで口を動かした。

「アンドロイド、タイプはMMの初期型ですね。希少種です」
「通りでカスタムされてるわけだ。で?なんであんな所に?」

あんな所、と言われて白衣の男はやっと視線を上げて部屋の中を見た。
中ではMMと呼ばれた金髪の少女が本や椅子を重ねた安定の無い踏み台をつくり
その上に立って必死に壁際に手を伸ばしている。

「あぁ…窓を開けようとしているんです。上にあるでしょう?」

そう言われて男は身を乗り出した。
なるほど、確かに床から4mはあるであろう場所ではあったが窓があった。

「ふん…なんでまた窓なんて?」

男の口ぶりから窓を開けても外には出られないのに、と続くであろう事は伺えた。
この研究室は地下のそれも何十メートルというところにある。
開いたことも興味も無いから知らないが開いても何も無いはずだ。

「神経回路が少し破損していまして。おかしな行動を繰り返すんです」


「神経回路…なるほどね」

確かにそれは厄介だ、と男は思う。
初期型のそれもカスタムされたタイプのアンドロイドは個性を持つといわれている。
男の分野ではなかったがそれは科学的なこの男でさえ信じていた。
"心〟は科学的なものだと立証されるのだ。
その個性を、一度壊れた心を修復するのは容易ではない。
人間と同じだ。
否、もしかしたらもっと難しいかもしれない。
彼らの心は人間とは違い持って生まれる"付属品〟のようなものではないのだから。

だけどこの言われたとおりのことばかりする人間達は修理の仕方も知らないんだろうな。
そう思いながら男はくるりと研究室の中で働く人間達を見渡す。
ただ少しコネと能力を持ってうまれただけなんだろう。
もしかしたら地上で土だらけになって生きてる人間の方が良い働きするかも。
ふとそんなことが頭を過ぎって男はクスリと笑った。
それも楽しそうだ、だが男にはそれより目の前のアンドロイドの方が今は面白そうに思えた。

「ここの管轄、I だっけ?」
「はい、そうですが…何か不都合がありましたでしょうか?K」
「いや、別に」

この面白そうなアンドロイドはどうしたら手に入るだろう?
そんなことを考えながら男は再びクスリと笑い部屋を後にした。
地下も10階近くもなれば息苦しくなるものだ、と改めてFは思った。
実際には空調も整っているのでそんなはずはないのだが、気分的な問題だろうか。
あの汚染された地上の空気に比べれば澄み切った空気を吸っているのに我侭だろうか。
そんなことを考えながらFは幾つもの扉を越え"特別隔離室〟へと入った。

「F…お疲れ様です」
「お疲れもお疲れよ。で?Eはどこにいるの?」

白衣姿の数人の人間たちがFの姿に気が付いて手を止めた。
一人の男が近づいて硝子越しの部屋に視線を向ける。
部屋は明るい色の壁と床で統一されており、壁には落書き床には玩具が散乱していた。
見るからに子供部屋というようなその部屋の片隅には黒い影があった。

「入るわ。コートお願い」

Fは普通に生活していたら一生みることもないような高級そうなコートを脱ぎ男に渡した。
コートの下は黒のタンクトップにタイトなやはり黒いジーンズ。
古い言い方をするならナイスバディであるその身体は服とは対照的に透き通るように白かった。

硝子に浮いているように付けられた機械に手をかざすと認識がなされる。
ピーと言う小さな音の後に空いた扉からFは部屋に入り、
なんも迷いも無く真っ直ぐに黒い影――Eと呼ばれる男――に近づいていった。

「E?何してるの?」

外見で言えばその男――E――は既に30に近い歳を重ねているであろう。
しかし、彼はFの問いに右手に持った赤色のミニカーをまるで子供の様な笑顔で掲げた。

「車遊びをしていたの?楽しい」
「んっ、楽しいよ」

Eは彼ら、記号で呼ばれる特別な者達の中でも特に天性の才能を持っていた。
今この研究室にある設備、研究材などの三割は彼が考え出したものだったろう。

あの日、退行は急に始まった。
子供が親の気を引こうとするようなそんな甘い退行ではない。
はじめはただ数日前の記憶がないだけだったのだ。
それがいつの間にかだんだんと記憶と脳とだけが若返り今では10歳に満たない子供だ。

今思えばこの男は繊細すぎたのかもしれない。
自分が支えていたはずの世界が崩壊したと受け入れなかったのかも。

神の存在などは信じてはいない。
そんな幻想は古い伝統でも持った人間達に任せておけばいい。
だが…もしも神がいるのならばこの腐ってしまった世界は罰だろうか?
世界を動かし命を作り出そうとし神となろうとした人間への。

神の存在を信じていなかった。
だからといって神になろうとしたわけではない。
ただ無意識に上へ上へとのぼってしまっただけ。



時を戻せないとわかったときから神になれないことは知っていた。
だけど信じてもいない神に祈るわけにはいかないから。
ただ無駄だとわかっている努力を繰り返すのだ。


 + + + +

3作目にして初のアトガキ…というかいい訳です。
心理学的な意味と少し離れてきていますね(汗)
あぁ…本当に言い訳になりそうだからやはり止めときます。

読んで下さった方、有難う御座います。
ちなみにこの100題微妙に繋がっていたり、繋がっていなかったり…
そのうちわかっていくと思います(逃)
「その血…どうしたの?」
「返り血だ」

家――と言っても瓦礫の山のたまたま空洞になった部分だったが――に戻った狂に
ミトは恐怖の色をした瞳のままで聞いた。
狂はなんという風でもなくまだ赤に近い色の血が付いたコートを脱ぎ捨てる。

「誰か殺したの?」
「殺らなければ殺られていた」

会話は端的に続けられる。
狂はミトの恐怖と嫌悪の表情にまるで気が付いていない。

「そんなことないわ、何もしなければ何もしてこない」
「君は外を…人の禍心をしらなすぎるんだ」

―違うわ。
ミトは心の中で呟いた。
禍心を持っているのは貴方の方。
それを受け入れられずにいるのも貴方。

―自分の破壊衝動を恐れていた頃の貴方を、貴方はもう覚えていないのね。

狂はミトの弱弱しい微笑みにさえもう気付くことは無かった。
満月は紅く妖しく輝いていた。
この腐ってしまった地上にもまだあんなに美しいものがあったのかと感心した。
それと同時に既に手をかけている引き金を引くのを一瞬躊躇う。
しかし月から瞳を離し目の前の酷い顔で泣いている男を見たら
なんの躊躇いも無く引き金を引いていた。

―――ドサッ

くすんでしまった銀細工の銃から放たれた銃弾は男の額を貫通し、男はその場に倒れこむ。
さようなら、名も知らぬ人。
そう今逝った人を思ったのも一瞬。
まだ足りない、まだ血が欲しい。
袖で顔を拭って再び月を見上げる。
そこに輝いていたのは黄色い満月で、はじめて気が付く。
先ほどの紅く見えたのは自分の瞳さえ返り血で紅く染まっていたからだ、と。

そういえば瞳も生身ではなかったか、と思い返す。
もうどの部分が生身であったかも忘れつつある。

まだだ、まだ足りない。
血が欲しい、肉が欲しい。
喉が渇いた、腹が減った。
奪わなくては、血と肉を。


*****

「なぁに?今の」
「銃声のこと?きっとMDよ」

窪みにたまっている濁った雨水をすくい集めていた少女は顔をあげた。
瞳の先には紫と黒とで統一された服装の女性が立っている。

「MD?」

聞いたことも無い単語に少女は首を傾げた。
女性はあきれたように溜息をつく。

「あんな山奥に暮らしていたとはいえ…本当に何も知らないのね」

MDを知らない人間はこの十三番街にはいないだろう。
とんだ拾い物をしたものだ。

「狂犬…mad dogの略称、見境無しに人を狩る殺人鬼のコトよ」

少女は殺人鬼という言葉にブルリと震えた。
確かにMDは異常ではあったがこの十三番街で殺人は珍しくない。
瓦礫や灰で隠れたこの下には死体がごろごろと転がっているはずでもある。
本当に純粋で厄介な少女だ、と女性は溜息を吐いた。

「体の殆どが機械の元人間。見るからに危険な面した男よ」
「サイボーグ…なの?」
「そう、人に戻りたくて生身を求めて人を狩るのよ、もどれっこないのに…」

女性は月を見上げて微かに笑った。

「しかもその理由に自分では気付いていない…馬鹿な犬よ」


「MDと知り合い…なの?」

少女のその問いに女性はただ微笑んだだけだった。
100のお題リンク集
でお借りしたお題にそって100題に挑戦しようと思います。
舞台はここでは無い秩序というものが崩壊した世界の近未来。
人々は信じるモノを見失いただ生きることに精一杯。
世界観が深くなるようでしたらそのうちわかりやすいものを造ります。

1.id              2.投影
3.退行             4.妄想分裂
5.神経             6.夢
7.コンプレックス        8.二重人格
9.ノイズ            10.無意識
11.近親相姦          12.偶然誤差
13.屈性            14.甘
15.逃避            16.概念
17.創造妄想          18.不安神経症
19.恐怖症           20.エディプス
21.抑鬱            22.断片化
23.防衛            24.境界
25.自己            26.転移
27.断片            28.本能
29.迫害            30.乳房
31.内的対象          32.喪
33.認識愛衝動         34.異物
35.症例            36.羨望
37.喪失            38.自慰空想
39.原罪            40.原光景
41.同一化           42.玩具
43.解体            44.去勢
45.再演            46.欲求不満
47.理想化           48.共通感覚
49.超自我           50.欠損
51.神話            52.要因分析
53.生の本能(エロス)     54.死の本能(タナトス)
55.錯覚            56.適応
57.禁断症状          58.強迫
59.拒否            60.欠乏動機
61.言語興奮          62.臨界状態
63.抑圧            64.無言症
65.劣等感           66.不適応
67.断眠            68.タブー死
69.集団的無意識        70.遺伝
71.健忘            72.郡因子
73.両親の性交         74.嫉妬
75.母体            76.精神薄弱
77.精神衰弱          78.心像
79.深層            80.情動過敏
81.脳脚幻覚          82.破局反応
83.不能            84.箱庭
85.性器的性格         86.ペルソナ(マスク)
87.歪曲行為          88.学習
89.囚人のディレンマ      90.シナプス
91.夢幻状態          92.神経症
93.プシケ           94.doi(痛みの単位:ハーディ)
95.パラノイア         96.音の釣鐘
97.予備反応・完了反応     98.嘘
99.病識            100.葡萄