2011年からNHKで断続的に放映されていた「ダウントン・アビー」(イギリスITV制作)が先日最終回を迎えた。
足掛け6年50回以上も見続けてきたドラマだったので、やはり大団円にはそれなりに感慨がある。
一言で感想を言うには、いろいろな要素がたくさん盛り込まれた、それこそ大河ドラマだったのでなかなか難しい。
実に大勢のキャラクターが登場し、それぞれに深みのある人間ドラマが描かれた群像劇だったという意味では、キャラクターの魅力で視聴者を物語の世界に引き込むテレビドラマの王道をいくドラマだったと思う。
物語の世界のリアリティーという点では、細部まで作りこまれた迫真の映像美と丁寧で重厚感のある演出も特筆ものだった。
役者の芝居もさすがにシェイクスピアの国のドラマだけのことはあって、一人ひとりがユニークでとても個性的、演技にメリハリがありながら、それでいて非常にナチュラル、物語の世界観にぴたりとフィットして、まったく違和感を覚えない。
テーマとしては、20世紀初頭の次第に没落していくイギリスの貴族階級とそれを取り巻く使用人など、社会や価値観、人間関係の移り変わりを、一種の叙事詩劇として描いている。
ドラマの根底を流れているのは、道徳律の支配なのだと思う。善人には良い報いを、悪人にはふさわしい報いを、ということなのだが、善悪といっても、何が正しくて何が間違いなのかは容易に答えがでず、社会の変化にともなって変転し、キャラクターも成長し変化していく。ある意味では、どこか無常観さえ感じさせながら、キャラクター一人ひとりが葛藤や苦悩を乗り越えて、自分なりの答えを見出していく。見ごたえのある人間ドラマだった。
ただ、やはりシーズン6にも及ぶ長丁場のドラマだったので、ストーリーやプロットの一貫性やエピソードの展開と収束には、結構ほころびや緩みもあったようには思う。
当初は、クローリー家と使用人たちの関係もかなりドライで、キャラクターもシリアス感が前面に出て、悲劇的要素(第一次世界大戦やシビル、マシューの死など)もあって、悪人キャラや問題キャラも多く、かなりぎすぎす、時にどろどろした雰囲気もあったのが、終盤ではみな割りといい人になって、エピソードもユーモラスでほのぼのした内容が中心になっていった印象がある。
特に、トムやモールズリーは、物語が進むにつれ、どんどん「いい人キャラ」になってきたし(笑)。また、重苦しく出口が見えそうにない深刻なエピソード(ベイツやアンナ関係など)が、解決する段になると意外にあっさり、ということも結構多かったかな(笑)。ロバートやコーラやメアリーも当初から見ると、かなりキャラ変してるような気もする。
これを日本のホームドラマなんかと比べるのは不適当だと思うけど、あえて言うなら、やはり「個人主義」の国のドラマは、日本のドラマのように、個人を取り巻く人間関係の中に個人の人格がいつの間にか溶け込んでしまうような曖昧さとは無縁。人生は自分の居場所を自分で作り出し、自分のビジョンを実現するための孤独な戦いの連続。
つくづく日本のドラマは、世間や他人の顔色を伺い、明確な自分の価値観や主張を持たず、赤信号みんなで渡れば怖くない、という同調志向、周囲のムードに流される、付和雷同のキャラクターにあふれたものばかりに見えて、うんざりしてしまう。
これだけのドラマを日本でも期待しようなどとはまったく思わないが、せめてふにゃふにゃした甘ちょろい骨なしキャラクターばかりのほのぼの予定調和、家族礼賛、恋愛礼賛、友情礼賛、お涙頂戴、馴れ合いメロドラマはもういい加減にやめたらどうだ、と思わずにいられない。