今クールは、「あなたのことはそれほど」のインパクトが鮮烈で、他のドラマがちょっと色褪せて見えたせいか、家人につきあって見た作品も割と少なかった。最初の数回ですぐに脱落したのも結構あったし。
まあ、例によって、波瑠さんの出てないドラマにはケチばかりつけて、へらず口みたいなコメントになっちゃうけど、そこはあくまで偏屈な一個人の感想でしかないので、どうかご容赦を。
「小さな巨人」
今クールは刑事ドラマの乱立でさすがに一本も見ないのも意固地かな(笑)と思って。
感想としては、まあ、シンプルな娯楽作品としてそこそこ楽しめた、かな。
でも、ドラマの作りは結構雑で粗が目立ったように思う。設定には穴があちこちあり、ストーリーに辻褄の合わないところや登場人物の言動に不自然・不可解なところが多くて、見ていて思わず声を上げて突っ込まずにはいられないシーンがたくさん。
総じて、ストーリーは二転三転、いや、四転五転、めまぐるしい展開で行ったり来たり騒々しく、設定も演出もやたら大風呂敷広げた割には、エンディングがやたら軽くて締りがなく、いったい何だったの、これ?って釈然としない感はある。
まー、そのへんは、何だか訳の分からない汗まみれの熱っぽさと激しさで全部すっとばして、うやむやに力ずくでごまかしちゃってるような雰囲気(笑)。
役者の芝居も、長谷川博巳といい、香川照之といい、どアップ顔芸、異常なオーバーアクションと派手な演技の連続で、外連味たっぷり、それこそ歌舞伎の見得をところ構わず切りまくってる感じ(笑)。
これは、あれだね、ドラマと言うよりは、ボクシングみたいな格闘技とか、サッカーみたいなスポーツの試合を見てる感じに近いと思う。やられたり、やり返したり、点を取られたり、取り返したり。見ている間は、エキサイティングでそれなりに楽しめるんだけど、勝負の決着がついてしまうとそれっきりで、展開の慌ただしさを追っかけるのに疲れて脱力、内容面では何も印象が残らない。ただ時間を消費しただけの、「使い捨て」ならぬ「見捨て」ドラマ。
もちろん、それでダメだとは言わない。テレビドラマって、たいていはそんなものだし。
「リバース」
湊かなえ原作のドラマは、以前にも「夜行観覧車」とか「Nのために」とか、家人が好き(?)で、と言うか、いわゆるイヤミス(イヤな気持ちにさせるミステリー)にマゾヒスティックな愉しみを感じるらしく、結構見る羽目になってる。
でも、「夜行~」も「Nの~」もそうだったんだけど、肝心のミステリー部分にはいつも欲求不満。うーん、と唸らされるような骨太の謎解きではなく、人間関係をとにかく複雑に、いくつものエピソードをひたすらややこしく絡めることで「謎」を引っ張るというスタイル。だから、見ていていつも思うのは、なんだこのエピソードは本筋と関係なかったじゃん、えー、いきなりこんな人出てきて、これがキーパーソン?、ちょっと待って、何?それただの偶然の一致ってだけ?とか、突っ込みどころはきりがないくらい、てか、何だか突っ込みの愉しみのためにドラマ見ているような気分になってくる(笑)。
このドラマも「夜行~」や「Nの~」と同様、突っ込みどころ満載。とにかく、物語の本筋と関係のない登場人物やエピソードが多すぎ。謎を引っ張るためのいたずらに複雑な設定とストーリー。思わせぶり、もったいぶり、からの、肩すかし、拍子抜けの連続。
浅見の学校でのビール事件も、美穂子へのストーカー事件も、谷原の職場のパワハラも、村井の浮気や夫婦不和も、村井の秘書による小笠原への傷害事件も、さらに言えば、美穂子による谷原の突き落としも告発文書の送りつけも、ぜーんぶいらないエピソードじゃない??だって、事件と何の関係もない、紛らわしくするための話ばかりでしょ?
いやいや、事件の謎解きだけじゃない、事件をきっかけにして、友情や愛情を描く人間ドラマだから、とかそんなの全然「ドラマ」になってるように思えない。
どう見ても、謎解きをメインにしてドラマを作ってるから、謎が簡単にはばれないように、真相を隠そう隠そうとして、登場人物の心情や言動が不自然に歪められてるよね。~と思わせておいて、実は~(笑)の執拗なまでの繰り返し、ってこの手のドラマの常套手段。
で、さらに問題なのは、人間ドラマとはおよそ呼べないほど、人間描写が薄っぺらいこと。これ、湊かなえ原作のドラマにはすべて共通の欠点。原作の小説は読んだことがないので、そもそも原作からそうなのかは分からないけど、事件の当事者の動機や心情がとってつけたように図式的でリアリティーが皆無なんだよね。はあ?そんな動機でそんなことふつーする??って感じで、説明が理屈っぽく、説得力ゼロ。事件の設定から逆算して、頭の中だけでパズルを組み立てるように、機械的に造形された人物ばかり。生身の血の通った人間に見えない。これ、もし脚本家が原作を損ねてるのでなければ、原作者の作家としての資質の問題だと思う。つまり、謎解きの設計や人間関係のドロドロ描写はできていても、人間そのものを洞察力をもって深くしっかりと描くのが不得手ということ。
いくえみ綾の爪の垢を煎じて飲め、ってか(笑)。
こういうところは、決して作品が好きというわけじゃないけど、松本清張とか水上勉とか、犯人当ての要素を犠牲にして、誰が犯人かは読者・視聴者にも当初からだいたい見当がついていても、どうやって犯人にたどり着くのか、犯人の動機や事件の背景、隠された真相は何なのか、そういうところに重点を置いてドラマを作った方がはるかに良いと思う。
あと、このドラマ、それぞれの役者の芝居も脚本や演出に引っ張られてか、役の人格として不変であるべきところで一貫性がなく、逆に、感情が変化しなければいけないところで一本調子。さすがに主役の藤原竜也だけはかなり頑張ってたけど、はっきり言って、藤原竜也の無駄遣いだよね。昨年の「そして誰もいなくなった」に引き続き(笑)、この手のテレビドラマはもうやめといた方がいいのでは?
そうだなあ、自分としては、イヤミスというよりも、モヤミス(モヤモヤさせるミステリー(笑))とか、イラミス(イライラさせるミステリー(笑))とか言った方がしっくりくるな。
ドラマ全体の流れとしては、事件の真相が詰まらな過ぎ。ドラマの前半の入り方からすると、ほんと竜頭蛇尾、って感じだなあ。その上、最終回は、余計な形だけの人間ドラマを盛り込んできて、「蛇尾」に加えてそれこそ「蛇足」(笑)。
見ようと言い出しっぺの家人もこのドラマの最終回にはさすがに自分と一緒にブーイングの嵐(笑)。「夜行~」や「Nの~」の方がまだマシだった。
このドラマ、マスコミの記事とか読むと、今クールの調査では満足度が最も高いドラマだとか。
それが本当だとすると、まあ、薄々気がついてたことではあるけど、世間一般のドラマを見る目と自分のドラマを見る目は、思った以上にかけ離れてるなあ、と。
ま、今の世の中全般の風潮なども見ていれば、そこらあたりの価値観や考え方の違いは自ずと納得できないわけでもないんだけどね(苦笑)。
「孤独のグルメ Season6」
まだドラマは続いていて最終回にはなっていないけど、ま、最後まで見ても見なくても、感想としては変わらないと思うので(笑)。
主演の松重豊が自ら言うように、とにかくもうひたすら同じことの繰り返し、マンネリズムの極致。ドラマというほどの内容は何もない。おっさんがただ店で飯を食ってるだけ。
だからいけないなどと言うつもりはない。それは野暮というもの。
こういう番組なんだから、ながら見でぼーっと眺めていればそれでOK。
まあ、日本はバラエティーとかグルメ番組が溢れているから、その手の一種、ドラマ仕立ての飲食店紹介番組だと思っていればいいんじゃないかな。
漫画の原作者自身も番組のエピローグに毎回登場してるし、おそらくこれでいいと思ってるんだろうから。
原作とドラマは別物。だから、原作と比較してどうのこうのドラマを批判したりするのはお門違いだと思ってる。
ただ、谷口ジローが亡くなって、あの独特のテイストの作品がもう読めないのは少しさびしい。ドラマであの雰囲気を再現してもらえたら、と思わなくもないが、それはほぼ不可能だろう。
原作の五郎を演じることのできる役者が想像できない。バンドデシネ風の詩情とペーソスに満ちた静止画のような情景描写とか、相当予算かけないと演出困難だろうし。それに、ときには店や客への辛辣な批判や文学的なアイロニーとか。そんなネガティブな内容じゃ、実在する飲食店に撮影協力はしてもらえないし、かといって単なるセットの店では臨場感や主人公の孤独感がまったく出ないし。
だったら、アニメならどうか。まあ、制作者が相当こだわりを持って作ってくれればよいけど。低予算でクオリティーの低い、表面的に形だけ原作に似せた作品になるくらいなら、最初からやらない方がよい。
ということで、ドラマは原作とはまったく違う番組だけど、暇つぶしならこれで十分。とは言っても、さすがにここまで来ると、サザエさん級のマンネリ感は否めないかも(笑)。
こうして見ると、今クールは「あなそれ」を除けば、あまり大したドラマを見なかったな。
で、次のクールはと言うと、番組紹介を見る限り、見たいと思う連ドラ作品が一本もない。山崎育三郎の深夜ドラマくらいかな。久しぶりに何も連ドラを見ないクールになるかも。
ま、それはそれで。テレビドラマなんてそもそも無理して見るほどのものじゃないけどね(笑)。