自分は幸せに生きてるるる~
そう、常に思ってるが
その気持ちを損なわナイための努力も
怠らナイようにしてる
それは現代日本人にとっては
誰もができる簡単なコト
「与えられたモノに満足する」
唯一それだけだ
不幸に感じたりするのは
突き詰めて考えると2通りしかナイ
1.大切なモノを失ってしまう
2.他者と比較して
劣ってるか損した気がして
優れてるか得だと思える相手を羨んで
一方で自身を蔑む
1.の場合は確かに不幸なのだが
それは長い目で見れば避け難い宿命だ
形ある物は必ず壊れ
生ある者は死ぬ
それが必定なのだからして
一時的には嘆きもするだろうが
最終的には受け入れて諦めるしかナイ
それに失った状況がとても苦しいとしたら
与えられてたこれまでこそが
いかに幸せだったのかを実感すべきで
そこに満足すれば゚+.(・∀・)゚+.゚イイ
他人を羨んだりとか
自身を蔑んだりなんてするなら
最初から比較なんてしなきゃいんじゃん^^;
しかもそうと結論付けてる根拠が
主観的な「卑しさ」なのは
自分にはどうも気持ち悪い><
今日は51歳の誕生日で
昨夜はちょっと呑み歩いてて
原点回帰を心に誓った
成りたかった自分に成りつつあって
余生を充実させるための殆ど総てが揃ってて
時間だけが(足り)無いと思えるのは
幸せなコトなのだ
外観だけ善いものをでなく、純粋で、不変で、隠れた部分ほど美しいものを求めよう。
セネカのこの言葉が好きだ
大学書林語学文庫の
セネカの『幸福な生活について』では
見開きでラテン語と日本語になってるので
該当箇所の原文を大声で読むと気持ちが゚+.(・∀・)゚+.゚イイ
いや、ラテン語を習ったコトはナイが
死語でネイティヴがいなくて
間違いを指摘されようもナイだろうから
ローマ字読みで音読したって構わんだろうw
編み物の進捗はこんなカンジ^^
誕生日イブのおうちごはん
ぬこきっつぁん、ありがとう