私が数年ぶりに

回復に少~し時間がかかる腰痛を

発症してからひと月ほどになります。


ずっと夫の療養、通院や母のこと


埼玉に引っ越す姉の愛犬マフちゃんを二十三日間預かったり

(大変でしたが楽しかったです。)


思えば気持ちがのんびりと過ごしたことがしばらくなかったような…。



それでもちょうど二ヶ月前に

埼玉に引っ越した姉と

千葉の姉と三姉妹で初めて

母に会いに行くことができました。


千葉の姉に対して

両親と私たち(埼玉の姉も)は

ボタンの掛け違いのような

すれ違いが長い間あって

ずっと会っていなかったのですが


父の葬儀で私は数十年ぶり

埼玉の姉は十年ぶりくらいに会い

その時はギクシャクしていましたが

どのみちこれからも母のことで

千葉の姉には連絡をとったりするので、私から歩み寄ろうと関係を繋げる行動をとり始めました。


あらためていろいろ話してみると

思い込みによる誤解もあったりで

再び昔のように普通に話ができるようになってきて


夫が「千葉のお姉さんも一緒にお母さんに会いに行けたら、お母さんはすごく喜ぶんじゃないかな。」

と言ってくれていたことが

だんだん現実味を帯びてきました。


私が二人と連絡をとって

日程調整や三人がそれぞれ

離れたところに住んでいるので

どこで待ち合わせをするかなどなど

詳細を取りまとめてやっと実現することができました。



昨年末から私は月に一度は必ず

ある時は夫と、別の日には埼玉の姉と

母の様子を見に行っていましたが

母の状態は当然ながら波があり

笑いかけて話せる時もあれば

食事量が減って体力が落ちて

身体が辛そうな時もありましたが

三人揃って会いに行った時は

これまでの中で一番元気で明るく

たくさんお話ができていました。

久しぶりに千葉の姉にも会えて

夫が言っていたように母もすごく

嬉しかったのだろうと思います。



十年ぶりくらいに会う千葉の姉には

その当時とは母の様子がまるで違うから

あまり驚かないように

普通に明るく話してね、と言っていたのですが、予想外のことに姉もホッと安心して、母に会えたことをとても喜んでいました。

そしてこれからも家族と共に

母に会いに行こう思うと言ってくれました。



それから半月後に夫と再び会いに行った時は、前回ほど元気ではなくても

笑って話すこともできたので良かったなと帰ってきたのですが


その二週間後に埼玉の姉が会いに行った時は、暑さでガックリと食欲が落ち

座って話していると母の身体が痛みだし辛そうだったので、疲れないように

早めに切り上げて帰ったそうですが

その時の母の状態だと、また容態が急に

変わることが十分ありうるので

会える時に会いに行った方がよいと

看護師さんから言われたと

かなり動揺していたので

報告を聞いた私はすぐに施設の看護師さんに電話をして様子を伺いましたが

どうやら昨年末と同じような状態なのだなと感じました。


そして今回は嚥下機能も落ちているようなお話だったので

あとで家族である私たちが

「もっと会いに行けばよかった。」

という思いにならないように

会いに行けるならどんどん来て下さい、

ということのようでした。



看護師さんの心遣いはとてもありがたかったのですが

昨年末もそうだったように

私たちが『その時』を決められるわけではないように感じていました。


埼玉の姉はネガティブな想像をして感情的になっていましたが、

私は自分たちで予想できない、

未知の部分のことは、いくら考えても

どうにもならないと思いました。


私も気持ちが揺れないわけではなく

緊張感もありましたが


これまでもずっと

施設の看護師さんや職員さんが

できうる限りのお世話を母のために

一生懸命尽くして下さっているので

私も自分でできるだけのことをやって

あとはすべて『大いなる存在』に

お任せしよう、と思いました。


波がある体調の中でも母が今も

誇りをもって母の人生を生きている

その事を尊重して母を大切に見守ろうと

決めて

あまり細かいことは考えずに

母の笑顔や、母がこれまで私にしてくれたことをいろいろ思い出していました。



それぞれの魂が目指すものは違っていても、その中でできることを

いき違いはあっても、私も母も精一杯やってきただけ。

だから今はすべてありのままを受け入れようと思っていました。



それでも現実面ではできるだけ間をあけずに、夫と共に母に会いに行こう!と

何だか必死な使命感をもって

いろいろと日程を調整し始めて

「いざ!出掛けよう!」となった時

数年ぶりのひどい腰痛がでたのです。



母のことは気がかりでしたが

自分が動けなくなったのではどうしようもなく

二週間ほどは家事をするのも困難な状態だったので

息子にほとんどを任せて

私は横になったり起きて少し動いたりと

ずっと同じ姿勢にならないように

調整しながら養生していました。



だんだんと回復はしてきたのですが

同じ姿勢が長くなると

背中や腰が重たく、痛んだりするので

今はまだ交通機関を乗り換えて

長時間電車に座って、母に会いに行くことは難しいなと思い

でも、その後母はどうしてるかなと

気になっていたところ

今日、施設の看護師さんから電話をもらいました。



どうやら外部の業者さんからの

コロナの感染がでて

それが施設で蔓延して検査の結果、母は陽性だったそうなのですが

今のところ発熱もなく無症状であるということ


ひと月前母はほとんど食事が摂れなくなっていたのですが

最近はプリンやヨーグルト、ドリンク剤などと、お粥やおかずも少し食べられるようになっていて

母も食べたい時は自分から手を伸ばして

食べられるようになっていたとのことで

良かったね!と看護師さんは職員さんたちと話していたところでの

コロナ感染だったようでした。



コロナ感染の対策となると施設の中は、いつも以上に入所者の方々のケアが大変になり

看護師さんや職員の方の負担も増え

多忙な中で、母の様子を連絡して下さるのも大変なことだったろうなと思い

スタッフの方々の体調を整えつつの業務がスムーズにいくように願いながら

母のことをあらためて託しました。


どちらにしてもしばらくの間、

施設では面会が禁止になって

母に会いに行くことはできないので

母を遠くから見守りつつも

自分の身体のことを優先的に

大切にしていこうと思いました。



十五年ほど前、引っ越しで無理して

(仕事で大変だった夫に頼ることはなかなかできず、息子と二人協力してのぞんだのですが💦)

腰痛を発症してからは

動作の一つ一つを慎重に注意をして

日々の生活をしていましたが

家族のこと(それ以外のことでも)

など、自分以外のケアをする必要が

でてくる時などは

注意していても無自覚に疲れを

ためているのかもしれません。

いつもとまったく同じ動作をしていても普段なら何もないのに突然

「ピキッ!」と腰が痛くなってしまうのです。



自分の心と身体が整っていなければ

自分以外の人のケアをすることは

できることではないので、

立ち止まることができるようになろうと思います。



ぽっかりとできた時間で

ずっと読みたくても時間がなく

読めなかったファンタジーな本を

インナーチャイルドのさなちゃんの

リクエストで一気に読み終えられて

さらにその本に書かれていることが

今の私にドンピシャリで必要なことだったので

今読むためにその本を私は買っていたのだなと思いました。



物事にストップがかかる時

特に身体の声を無視してはいけないなと、しみじみ思いました。

無自覚に必死な使命感で

自分をかえりみることを忘れてしまった私に

自分の大切な身体を守るように

今回も身体が私を守ってくれたように思います。





お読み下さってありがとうございましたニコニコ