9、蓮
帰宅して、キッチンに水を飲みに入って、そのメモが目に入った。
お手伝いさんから彼女に宛てたメモ。
『煮物は今日中に召し上がってくださいね。』
見ると、煮物はラップがかかったまま傷んでいた。
俺は、中身をゴミ箱に捨てながら、首を傾げる。
そう言えば、しばらく彼女を見ていない。
冷蔵庫を開けると、どれもほとんどの賞味期限が過ぎている。
そのことに気付いた時、俺は血の気が引く音を聞いた気がした。
お手伝いさんは1週間前から休暇を取っていて、俺と旦那様も一昨日まで出張だった。
帰ってきてからも、早朝出かけて、深夜に帰るという生活で、彼女を見ないのは当たり前のようになっていたけれど・・・。
「お嬢様? 入ります。」
真夜中であったけれど、ノックもそこそこに彼女の部屋に入る。
彼女はベッドにいた。
けれど寝ているわけではないのは、わかった。
虚ろな眼で、何か小さくつぶやいていたから。
それが、昔施設で覚えた讃美歌だとわかった瞬間、俺は彼女を力いっぱい抱きしめた。
「れん?」
「キョーコ。ごめん。」
「やっと、キョーコって呼んでくれた。」
かすれた声で、彼女は微かに笑った。
「いつから? いつからここにいた?」
「蓮はデートだった?」
脈絡のない返事。でも彼女が一番気にかかっていることなんだとわかった。
「キョーコ以外の女とデートなんかしないよ。」
「私ともしないよ?」
彼女は涙を堪えるように顔を歪めた。
俺は自分の馬鹿さ加減に嫌気がした。
彼女のためにと思いながら、彼女の気持ちを考える余裕をなくしていた。
自分が頑張ることしか考えられなくなっていて、彼女との愛情を過信して、彼女をないがしろにしていたのだと気づく。
彼女を一番傷つけていたのは俺だった。
「ごめん。」