愛を歌で繋げる「BlueRoseProject」
魂の歌声 HealerSinger「Reila☆」でございます。




昨日は母と滋賀へ


51歳にして

初めて
母と手を繋ぎました。


東京駅が混雑してて
荷物も多いし

母の手を引いて
歩いた方が安心だったから。。


小さい頃から
母が手を繋ごうとしても
私から手を振りほどき
プイッと一人で歩いていたと
母は言っておりましたが

鬼のように恐ろしかった母に
手を繋ぎたいと言えなかった、、
私はそう記憶しております。(^^;


無事に滋賀に着き
従兄弟の車に乗り込んだとたん

母のテンションは上がり
ペラペラ喋りまくる

家にいたら
全然喋らない
認知がどんどん進んで
どんどん小さくなってく
母が心配で

でも
田舎に来ると
別人のように元気な婆さん。

ずっと笑ってずっとしゃべってる。

連れてきて良かったわ(^-^)


夕飯は
皆で近江軍鶏を堪能し




スナックで
昭和歌謡祭

お酒飲めませんが

シャンパンをあけて下さったので

1口だけ✨

セトリ

1,時代

2,砂に消えた涙

3,いい日旅立ち

5,カサブランカダンディ

5,ペッパー警部

6,異邦人

7,まちぶせ

8,SweetMemories
 
9,パプリカ

みんな楽しそうに一緒歌ってくれて

沢山の元気を頂きました。

ペッパー警部では
従姉妹が一緒に歌って踊ってくれました。

40年ぶり⁉️もっとかな?

私のピンクレディの原点です。

小学生の頃、田舎に行くと 
3歳年下の従姉妹といつもピンクレディをやっていて
それを叔父さんが8ミリビデオで撮影してくれて
親戚一同で上映会してました。

夏祭りのステージでは、母が作ってくれた衣装を着て
ピンクレディやってました☺️

懐かしい思い出がよみがえってきました✨

そして
「いい日旅立ち」
これを歌おうとしたら
母が「私も歌える」といきなり言い出し
二人で一緒に歌いました。

二人で歌を歌うなんて
初めてです。

ビックリ。(^^;



母は子供嫌いで
私の事を嫌いだと言っては
手の後が残るまで
ヒステリックに叩き続けた人です。

池に投げ込まれたり
物置に閉じ込められたり
家に入れて貰えず玄関の前で泣き続ける日もありました。

私は母が嫌いでした。
この世で1番恐い人でした。
一生許せないと思っていたけど
私はその感情を圧し殺し
母に歩み寄ることにしました。


母は認知症で
私にした酷いことなど
まったく覚えていません。

それが
悔しかったり許せなかったり

仕方ないと思っていても
時々苦しくなったり
内なる子どもが叫んだりしてました。

そんな母を
心の底から許すことが出来ているのかどうかはわからないけど

それでも
母の笑顔が
私の幸せだったり
します

「どうして私を生んだの?」
生まれてきたことを後悔するばかりの日々は本当に辛く苦しかったけど

今は
「私がこの人を母親に選んで生まれてきたのだ」と思えるようにもなり

母には

感謝しかありません。

いつまでも笑顔でいられますように。。


私は歌い続けます。

私が歌い手になった事を

誰よりも喜んでいるのは
母だから。