昨夜、娘とミュージカルを観劇しました。
「泣かないで」
音楽座ミュージカル
遠藤周作著
【わたしが・棄てた・女】より
タイトルの「泣かないで」はナチスのユダヤ人収容所に収監された少女がガス室に入れられる直前に、「ママ、泣かないで」という言葉を書き遺したという逸話から、究極の時に自分以外の人を思いやれる心が主人公ミツと同じということで名付けたそうです。
《あらすじ》
舞台は戦後間もない東京
街は復興のエネルギーに満ちていた。
アルバイトで学費と生活費を稼ぐ貧しい大学生の吉岡努は、ある日、雑誌の文通欄で知り合ったクリーニング工場の女子工員、森田ミツとデートをする。
大学生とのデートに胸をときめかせるミツ。しかし吉岡は、ただやるせない気持ちのはけ口が欲しいだけだった。
ミツと一夜を共にした吉岡は、その後下宿を引き払い、姿をくらませる。
そんなことを知らないミツは、吉岡と会う日に着ていくことを夢見て、カーディガンを買うために残業に励んでいた。
やっと手にした給料袋を握りしめて店に出掛けるミツだったが、酒と博打に溺れる工員の田口が生活費のことで言い争う場面に遭遇する。
目をそらし通り過ぎようとするミツの心に女房に背負われた赤ん坊の泣き声が突き刺さる。
結局ミツは残業で稼いだ金を田口の女房に差し出してしまうのだった。
大学卒業後、小さな会社に就職した吉岡は社長の姪である三浦マリ子に思いを寄せるようになる。
社員たちが帰った夕暮れのオフィスで話したのをきっかけに、急速に親しくなっていく吉岡とマリ子。マリ子から一緒に映画に行く約束を取り付けた吉岡は幸せな気分にひたりながら雨の街を眺めた。
そんな時、急にミツの面影がよぎり戸惑う吉岡。
同じ頃、大学病院の窓から吉岡と同じ鈍色の空を見つめているミツの姿があった。手首にできたアザを検査してもらったミツは医師からハンセン病という宣告を受ける。
富士山の麓にある復活病院。それは世間からうとまれ、死を待つだけのハンセン病患者たちが集められる病院だった。
「さいなら、吉岡さん」
吉岡の思いを断ち切るように、ミツは竹林に囲まれた復活病院の門をくぐっていた。
復活病院に辿りついたミツは、死への恐怖以上に、同室の加納たえ子から聞いた「一生誰からも愛されないことが苦しい」という言葉に身震いする。
なぜみな良い人なのに苦しまなければならないのだろう。いつしかミツは自分の苦しみよりも、患者たちの心の苦しもに涙していた。
ところが数週間後、ミツの診察結果は誤診であったことが判明する。
「病気じゃない。また吉岡さんに会える。」晴れて自由の身となったミツは、吉岡が暮らす東京へ戻ろうと駅へ急ぐ。発車のベルに急かされながら改札へ飛び込んでいくミツ。しかし、東京行きの列車が走り去ったホームには、一人佇むミツの姿があった。
とぼとぼと改札を出てくるミツの脳裏によみがえってくる患者たちの顔。別れ際にたえ子がくれた指輪をじっと見つめていたミツは、来た道を復活病院へ向かって走り出す。
極限の心の苦しみを味わったミツは、病院に残って患者たちと一緒に生きたいと思ったのだ。(パンフレットより)
泣き通しでした。ハンカチ一枚では足りないくらい泣きました。
歌も踊りも良かったですが、セリフに胸が詰まります。
どの場面がどうだったとかではなく、ストーリー全体のメッセージが重く【愛徳】の精神の素晴らしさ、吉岡への一途な想い、ミツの純粋な他者への思いやり、など言いつくせぬ気持ちでいっぱいになり、今こうして文章にしている間も涙が止まりません。
このお話にはモデルがいるそうです。
生涯をハンセン病の救済に捧げた女性で聖十字勲章やナイチンゲール記章など受賞されたそうです。
ミュージカルのミツとは異なり才女で深窓の令嬢だったよう。
ハンセン病に対する誤った認識からいわれのない差別が当たり前のようにあった時代。
22歳で誤診で入院した八重さんは唯一の看護婦として病院に残り、81歳まで重要なスタッフとして働いたのだとか。
ミュージカルが完全なフィクションでなく、モデルになった女性がいることにも衝撃も受け、自分に出来ることってなんだろうと考えさせられました。
ふっと【生まれ持った”得”】というのは真似できるものではないような気がします。
真似は出来ないけど、その心を見習いたい。そうありたい。と、深く深く思いました。
娘と観劇したものの、やはり小学3年生には難しかったみたい。
大人しく見ていましたが「なぜ泣くの?」と散々聞かれ、説明しても「私は泣けないなぁ」と・・・・
タイトルからすると、娘の方が理解してたりするのかしら!?!?(考えすぎ&親ばかかな
)
とにかく、2000円でこんな素晴らしいミュージカルが見られて嬉しかったです★★★






