「延喜式神名帳」(927年にまとめられた延喜式内社の全国の神社一覧)に記載される名神大社「阿波國名方郡・天石門別八倉比賣神社」の論社の一つであるらしいです。
「大宣都比売命」については 古事記 では、国産みにおいて伊予之二名島(四国)の中の阿波国の名前として初めて表れます。その後の神産みにおいてイザナギとイザナミの間に生まれたとの記述があります。
イザナギとイザナミどう考えても日本人の名前ではないですよね…
説話では、
粗暴な振る舞いによって天界(高天原)を追放された須佐之男命は、
大宣都比売神に食べ物を求めました。
そこで大宣都比売神は、
鼻や口また尻からうまい食べ物を取り出して、
いろいろに調理し整えて差し出そうとしました。
それを見ていた須佐之男命は、
食べ物を穢して差し出すのだと思い大宣都比売神を殺してしまったのです。
その後、殺された神の体から出た物は、
頭に蚕が生まれ、
二つの目に稲の種が生まれ、
二つの耳に粟が生まれ
、鼻に小豆が生まれ、
陰部に麦が生まれ、
尻に大豆が生まれました。
そこで神産巣日神がこれらを取らせて五穀の種としたのです。
とあります。
神の話なので天界の出来事になりますが、徳島では高山集落が四国山地の至る所にあります。
この地域のことを「空(そら)」と呼び、この神社の近くに天岩戸と呼ばれる巨大な岩で出来た洞穴があったり、卑弥呼に関連した神社や寺院がさりげなく建っていたりと不思議なところです。
この地名や伝承は説話になぞられて後から作られたのか、この地をヒントに説話ができたのか謎ですが、現在の主流は今の地名から古事記を読んでいるので前者が歴史的な見解となっています。
ただ、徳島説で読むと矛盾が無くなるというミステリアスな部分が後者の考えの元です。
初詣は何気なく神社に参拝にでかけますよね。
この神社と天皇とは何か結びつきがあるとはおもいませんか?
どちらも、寺院と違って日本らしさがあるというか、そう感じるのは自分だけでしょうかね?
ところで、先ほどにも述べましたが、徳島は歴史学者からは何故か無視状態です。
徳島の現状は中央から離れており、四国の片田舎の地位です。
それは、近代のことで江戸時代には藍の生産で日本有数の街でもありました。
その証拠に銀行が出来始めた当初に、徳島のとある銀行が預金高日本一になったことがあります。
それ以前にも畿内(当時の中央)に強い影響力を持った時期もあり、歴史のメインには上がらなくても無視できないとは思います。
江戸時代のことですが、
家康が徳川の名字に変え、阿波もその命令で徳島と改名になりました。
川と島、何か意図でもあったのでしょうか?
また、阿波の改名も歴史(学)から離れる理由もあるのかもしれませんね。
徳川幕府ですが、徳島藩に対して阿波の歴史を調べるようにとの御ふれが出されてました。
内容は、
元禄10年(1697年)11月19日、突然老中土屋相模守、徳島藩江戸留守居役を呼び出した上、覚書を手渡し、
「阿波、淡路両国に在る古代天子葬之場を調査せよ」
と極秘調査を命じています。以後徳島藩では普請奉行が中心となり、阿淡二州の古代天子葬之場が続けられました。
この発端は幻の「阿波風土記」を入手したのではないかと噂されています。
歴史学的には存在しないとされていました。
また、再編中の風土記もすぐに行方不明になります。
再編された阿波風土記ですが、最近になり筑波大学付属図書館にあることが発見されています。
これにより、歴史認識が変わってくるのかと楽しみでもありますが、歴史学者には便利な必殺技を用いることあるので心配ですが…
例えば、文献否定(この文献の記述に誤りがありますと最初に断りや後からまねて作ったと述べる)や論破できなくなるやこちらの意見を聞き入れない感情的な相手とは討論できないとか目にしたことがあります。
終戦直後になりますが、マッカーサーが徳島の剣山周辺の発掘調査をし、何かを持ち帰ったようです。
この時に、それまでに発見されていた100体のミイラが無くなり(持ち帰った?)発見された当時の新聞記事が消滅しています。
こうなってくると地球規模での何かの意志が働いているのかと勘ぐりたくなります。
歴史学者の立場は自己否定(自分のしていたことが無駄だったとか)になるのでまだ理解できますが、後者はちょっとヤバいものを感じます。
表にでては行けないもの=おそらく当事者(戦争に絡んでいる人や利害人)にとって不都合なものがあるのでしょうね!
徳島県にある剣山はユダヤ人と何か関係があり、失われたアークが隠されているとの伝承があります。
実際に過去に幾度も調査がされ、現在は国立公園の為に発掘調査はできないままとなっています。
神輿を山頂まで担上げるお祭りや近くにユダヤの神殿跡も残されています。
このことは日本よりユダヤ関係者が熱心で、
前イスラエル大使のエリ・コーヘン氏は日本とユダヤの祭りや風習の
酷似に驚き独自の調査を始め、徳島に2回訪れました。それは地元の
テレビでも取り上げられる程の公式訪問で驚く程熱心な調査が行われたようです。そこでコーヘン氏は美馬市にある倭大国魂神社に訪れ、古代イスラエ
ルのシンボルであるメノラーが神社の神紋にあるのを見つけました。
この地方には秦氏(約1300年前、シルクロード沿いの今のカザフスタン辺りから19万人の民を引き連れて日本に来たとされる)が多い多くあります。
また、神明神社に訪れ、石を積み上げて造られている
古い神殿見て、その形、大きさなど、ユダヤの神殿と同じ造りであり
間違いなくイスラエルの民はここに来ていると確信しています。そして、そのコーヘン氏が次に注目しているのが剣山なのです。国を追われ流浪の民となった古代イスラエル人はソロモンの秘宝であ
るアークを持ち出し、剣山のどこかに埋めてあるというのです。
ここまで話が繋がってくると、ユダヤ、徳島、天皇(日本)と何か深い繋がりがあるもとの思い受けられます。
こうなってくると、歴史は感じるものですね!いや爆発してもいいくらいです(^^)
はやりとんでも説は大好きです!
今現在世界で活躍している多くのユダヤ人は、偽ユダヤ人と言うのはご存知でしょか?
こちらは、ユダヤの教えに絶えられなかったアシュケナジー・ユダヤ(ハザール人)らしいです。
それは、自分たちの先祖と旧約聖書の祖先が違うから…というのが大きな問題点でしょうか?
だって、自分たちは生粋のユダヤ人ではないですからね(^^)
このユダヤの教え(聖書の十戒)とは、
偶像を造ってはならない。
偶像を拝んではならない。(神社には偶像はない)
神の名をみだりに唱えるな。
神の名をみだりに唱えてはいけません。人間は弱いので、「神様助けてくれ」とか「神様お願いします」というようにすぐ神の名前を出しておすがりします。そのようなことをしてはならないと言われたのです。
安息日を実行せよ。
モーゼが言うのには、神が世界を創った日を安息日とするのです。全員が休むのです。七日に一度、必ず神が休んだように人間も安息日をとらなければいけないのです。
父母を敬え
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
隣人に関して偽証するな。
隣人の物をほしがるな。
これは、日本人が自然と習得しているものです。
すべて、日本神道にはいっていることに気付きます。
縄文時代は長く続きましたが、戦争が起きた形跡がありません。
戦が行われるようになったのは、大陸からのやって来きて住み着いた弥生時代からになります。
それでも、水田の開発でそれどころではなかったようでもありますが?
今、日本の中で生活している方で、
この教えが何か絶えられない、理解できないと思われるかた(実際に行動に出している)がいると過程します。
おそらく、日本人より大陸の血が濃い(今はDNAか…)のかもしれませんね。
株で有名になったT.Hさんなんかがその代表に思えます(違っていたらごめんなさいm(_
_)m)
ユダヤ人がこんな國を見れば、きっと理想の國と思う事でしょう!
日本を理想の國と思ったとされる人物がいます。
ジョセフ(徐福)です。
秦の始皇帝の立役者みたいな方で、土木工事にたけていたそうです。
もちろんジョセフの一団はシルクロードを渡り中国までやってきた、消えたユダヤ一族と考えられています。
始皇帝の命を受けて不老不死の薬を探しに(永遠の国家建築)旅にでます。
日本の各地に伝承が残っており、二度訪れたとなっています。
一度目は、偵察に、
日本各地を回り、情報を集め、何処から入るのがベストか考えたのでしょう。
二度目は、それを情報を元に実行に移りました。
古事記に國生みの話があります。
淡路島、四国、隠岐三島(四島あるので、きっとの現在の隠岐ではないはず)、筑紫…
最後の8番目に畿内になります。
この数字も大切は要素です。
また、現在の出雲や日向は古事記の場所的にはでてきません。
古代の地名を現代の地名で読んでどうする?必ず道に迷いますよね…これが古事記の話と今の比定された場所の情景が合わない理由かと思いますが?
歴史学者さんもっと頭を働かせましょうよ(^^;)
隠岐三島も時計回りに国産みが描かれているのに、いきなり島根まで飛ばすなんて!どちらかといえば普通に考えられているのがとんでも説に思えてきますよ!
歴史的にみてみますと、出雲は渡来人(主に朝鮮半島)が住着き、日向(南九州)は蛮族が多いので安全ではなかったと考えられます。
ジョセフは最も安全とみた淡路島に上陸し体制を整え、四国に進出し本拠地を構え、全国制覇に乗り出したものという考えです。
そして、畿内に大和(ユダヤ語では神の民の意味)を造り日本をひとつの国家に成し遂げたというものです、
八と言う数字は、日本において重大な意味合いもあり最高位を占める数字です。これも踏まえて古事記では大和地方(畿内)に八の数字をあてがえのかもしれません。
以前に皇室にかかわる重要な人物が徳島市国府の、天照大御神の神陵である(卑弥呼の墓があると伝承される)八蔵比売神社が見える場所に訪れ東京に帰り一つの歌を読みました。
「いにしえの 歴史しのびつつ 島訪ひぬ 松が枝を揺る 瀬戸内の風」
すごく意味深な歌です。
捉え方しだいでは故郷に立った心情ともとれますね(^^)V